Another World @作業用BGM紹介:http://www.youtube.com/watch?v=JdygkoQGjdA(うみねこのなく頃により、miragecoordinator) 第26話.『デュオの「審判」』  4月22日 01:40 ―――  部屋の中に飛び込んできた黒き狼の群れ。  それらは、部屋の中央で空間に縫い止められし4人の侵入者をあっという間に包囲する。  その獣は吼え声と共に、一斉に飛び掛る。  鋭い牙がまさにイグルスの喉元を噛み千切らんとする時、狼達が入ってきた扉の奥から声が聞こえた。 「静止セヨ、我が息子達。……贄はソイツらじゃあ無いヨ。」  すると、狼の群れは一斉に動きを停止した。  扉の向こうから、闇に紛れて何人もの人が現れる……。 「マダ早い、お預けだ。欲張るのは罪だよ、息子達ィ。イヒヒヒ。」  狼の群れを制止させた声の持ち主が、姿を現す。  白衣を着たボサボサ髪に、生気の全く無い目。そして、不気味な口調をした男だった。  その男は侵入者の4人を値踏みするように見た後、クインシアの隣に並んだ。 「どうです? 先生のお眼鏡にはかないまして?」 「……微妙ダネ。検体としては時期を逸していたりする。というか、イラナイ。」  クインシアはその男と言葉を交わした後、優雅な仕草でイグルス一行に示す。 「ご紹介致しますの。此方のお方が、この地下研究施設の現責任者。セプタス様で御座います。」 「……近衛兵のセプタス。ま、肩書きなんざシャレよ? イッヒ。」  ボサボサ髪をいじりながら、不気味に笑う男。  セプタスは何か面白い事が起こるといった風に、誰にとも無く呟く。 「そうそう。奥の皆がネ、折角だから挨拶したいーって。トリードを消したこの子達? を?」 「そうですか。クスクス。」  不気味な男の調子に合わせ、控えめに笑うクインシア。  この異様な雰囲気に流されるまま、イグルス達4人は次の近衛兵を目にした。  近衛兵セプタスが入ってきた扉の向こうから、新たに人の形をした者達が現れる。  クインシアが言う。……その者達は、全員が全員、近衛兵だと。 「そう、折角ですからね。……賢者様に勝利したご褒美とでも受け取って下さいな。  最高の客人には、最高の御持て成しを。……来世では、身も心も救われますように。」  クインシアはドレスを持ち上げ、深々とお辞儀をする。  そして他の近衛兵を立てるかの如く、退いた。 「なーるほどなーるほど、賢者トリードも一人っきりじゃああんなもんか。  “運”が無かったんだねェ……いや、君達の運が強かったのかな?」  動けないイグルス一行の前に、最初に躍り出た男。  袖口の広い、派手な配色のスーツ……のようなピッチリした服を着て、黒い薄手の手袋をはめている。とても不思議な雰囲気を纏っていた。  それに長い前髪で見え辛いが、どうやら顔の右側を仮面で覆い隠しているようだ。  その男は軽い口調で、仲間だった筈の男の死について語る。 「ま、いいや。……手間が省けたってことでさ。  大体、あんな悠長な審判やってちゃあ世界は救えないでしょ。……そう思わないか、カルデオ君。」  その軽い男は、後ろに静かに立っていた男に話を振る。  黒い影のようなマントで全身を覆ったその男――カルデオは、落ち着きのある優しい声で返答した。 「僕? そうだなぁ、アイツは責任感が強かったからね。神への忠誠心は凄かったんだけど……所詮、それまでだったかな。」  マントから露出した顔と頭部は、とても普遍的な、優しそうな青年に見えた。  蒼く澄んだ瞳と、慈愛に溢れた笑顔。短髪に白い羽飾り。……それだけなのに、どこか威厳がある。 「そうねェ。真面目っていうか、石頭? オレはあんま好きじゃ無かったなー、自由が無くてさ。」  軽い雰囲気の近衛兵は、なぁ、とセプタスに視線を投げる。  セプタスは肩を小刻みに震わせながら薄く笑った後、頭を左右に振った。 「興味ないね興味ないね。イッヒヒ。彼の君臨は終わった。……それだけの事っていうね。イヒ。」  セプタスに合わせて、他の近衛兵も「そうだな」と同調する。  ……どうやら、彼らにとっては、近衛兵トリードは“倒されてもいい存在”だったらしい。  利用された捨て駒か、体のいい代表者だったのか……真実の想定は難しいが。  近衛兵がトリードの死について笑っていると、突然、セプタスがヒステリックに叫び出した。 「……で、次の「審判」は誰がやるんだい! 早く決めなきゃ、研究の続きができないじゃないか!」  そのけたたましい声に、場の全員は一瞬硬直する。  すると、その声を聞きつけたのか、奥の扉から背の低い少女が現れた。  セプタスと同じく白衣を着て、ナース帽のようなものを頭に乗せたその子は、ヒステリーを起こした声の主を宥めた。 「ドクター、落ち着いて! その声はモルモットのコンディションに響きます!」 「ああ……またやってしまったかい。イヒ……ヒ。すまないね、ノーネ。……少し、イライラしてね。」 「頼みますよー。折角上手くいってるんですから。」  ノーネと呼ばれたその少女は、セプタスを落ち着かせると、イグルス達を見た。  幼い顔立ちだが、瞳は赤紫色の毒々しい雰囲気をしていた。  ……クインシア、セプタス、軽い口調の男、カルデオ、ノーネ。  この部屋にいる近衛兵は、5人。  既に倒れたセクサー、オクトリー、トリード。そして、行方の分からないソロ。  合わせると、全部で9人。  つまり、この場にいる近衛兵で、全員が姿を現したことになる……。 「……で、どうするんです? あたし、ドクターに賛成ですよ。早急に決めましょう、次の審判。」  近衛兵ノーネが、他の近衛兵に語りかける。  すると、すぐさま軽い口調の男が手を上げた。 「あーそうそう。そうね。トリードが消えたからさ……次の審判、オレってことで。」 「構いませんわ。……デュオ様。期待しておりますのよ。」  クインシアを始めとした全員に認められ、軽い口調の男――デュオが、次の「審判」を担当する事になったようだ。  その様子を、イグルス達は無言で見ている……。 「……さて。貴女方?」  クインシアは、束縛している侵入者4人に向き直る。  部屋の中央に、敵に囲まれて、空間に縫いつけられて身動きの取れないこの状況。  これからどうなってしまうのか。それは容易に想像できる。 「……茶番だ。何から何まで、……予定通りだったということか。」  イグルスが呟く。  それに対し、クインシアはクスリと笑うだけで、返答はしなかった。  ここで唐突に、ナース帽を被った近衛兵ノーネが喋る。 「そうだ。折角来たんだし……戻る前に1つ、報告しますね。いいでしょ、ドクター?」 「それは、良いニュースか? 悪いニュース……かか?」 「悪いニュースではありませんよ。」 「……イヒヒ。ん、構わんヨ……。」  セプタスに許可を取り、ノーネの小柄な身体が凛と跳ねる。 「沼地エリアで実験を行なっていた“次元核搭載巨大生物兵器”……“狂愛”のアデモスですけれど。  どうやら先程、餌を発見したみたいです……。それも、大量に。」 「餌、とは?」  クインシアに問われ、明るい顔でノーネは続ける。  しかしイグルスには、その表情が魔性のようなものに見えた。 「大量の人間です。……どうしてあそこを通ろうと思ったのかな? 理解できないですけど。  アデモスちゃんからの反応が激しくなっちゃって。相当暴れたいみたい……。」  沼地エリアに大量の人間。  イグルスは自身の判断を後悔する。  あそこに、『ゴッディア側の兵』はいないと分かっていた。  しかし……『兵器』がいたとは。 「イヒヒ……アデモスか。あの兵器の実力を測るいい機会。……ノーネ、しっかり観察するんだヨぉ。」 「はいっ、了解です、ドクター!」  ノーネは元気に返事をすると、奥の部屋へ駆けていく。  イグルスはそれを目で追い、クインシアに聞いた。 「“兵器”……アデモス、とは何だ?」 「あら、貴女方が心配することではありませんのよ。……さ、わたくしの目を御覧なさい?」  クインシアは、そっとイグルスに近付く……。  イグルスは、彼女の視線から逃げようともがく。  しかし束縛された身体はピクリとも動かない。  そして――イグルスの瞳と、クインシアの瞳が視線で繋がる……。 「……っ。う……。」 「教えて頂きましょう、貴女方の思想を。粛清は、それから……。」 「…………ぅ……っく!」  イグルスは頭を動かせない。  クインシアの目線は、ずぶずぶとイグルスの眼鏡を通り抜け、瞳の奥へと入り込む。  何も攻撃はされていない筈なのに、イグルスの表情は苦痛に歪む。 「さあ、楽にして下さいな。わたくしに教えてくださいませ……さぁ。  貴女方の目的を。探しているものが何かを……。」 「…………ぅぅぅ、ぅあ……っ、うううっ!」  今まで発した事の無い声が、イグルスから発せられる。  誰に対しても冷静に振舞っていた女性が、いとも簡単に。  イグルスに付き従う3人は、それを見ているだけで何もできない。  クインシアは一体何をした? 何故、身体が動かせない?  その答えを考えるが、解は1つしかない。クインシアの魔力が強すぎるのだ。  クインシアの後ろには、近衛兵達。  デュオ、カルデオ、セプタスが、じっと様子を伺っている。  ……絶対絶命……。  実験設備に溢れたこの部屋に、イグルスの苦痛の声のみが響く――。 ―――  4月22日 1:49 ――― 「どこだ! どこにいった、ミュラ!」 「沼に落ちた……? そんな馬鹿な。何が起こった?」  一同は混乱する。  暗闇の中、忽然とミュラの姿が消えたのだ。  バシャッ! 「うわっ!?」  ギニーが悲鳴を上げる。  沼から泥が跳ね上がる音が聞こえた。  それと同時に、目の前を歩いていたピーターが消えたのだ。 「何か……何かが、いる……!」 「くそっ、松明じゃ分からねぇ……明かりねぇか、明かり!」  ベイトが乱暴に叫ぶ。しかし、今は松明以上の光源は持ち合わせていない。  暗闇の中、何かを探すのは無謀だった。  ええい、とベイトは覚悟を決めたように唸る。  そして、ポーチからありったけの火薬弾を取り出すと、ボウガンでそれを木々に放った。  ボウゥッ!  火薬が弾け、沼地エリアの大木が轟々と燃え盛る。  そして隣の木に燃え移り、更に隣の木に……と、山火事のようになった。 「ベ、ベイトさん! これは……。」 「これで十分か! 早く、探せ!」  確かに、光源は確保できた。辺りは十分過ぎるほど明るくなった。  しかしこの派手さは、ゴッディアに位置を知られてしまうかもしれない。  勢いがあまりにも強すぎる。このままでは沼地エリア一面が焼け野原になる危険性も……。 「おい、ホーエー! テメェに任せた!」 「はい? はあぁぁぁっ? え、何ですか?」 「消火だよ消火! 危なくなったら水使って沈めろ! 頼む!」 「む、無茶じゃ……ああもう、やります、やりますよ!」  ホーエーはヤケクソ気味に了解した。  文句を言っている場合ではないのだから。  皆は、明るく照らされた沼地の水面を凝視する。  泥が跳ね上がった跡。ミュラとピーターが消えた場所……。  この沼の中に、何かが潜んでいる!  ザバッ……。  濁った水の中から、何かが勢いよく伸びた。  それは瞬く間にリリトットの足首を補足する! 「きゃぁぁっ、何これ……」 「リリ!」  ドンッ!  反射的に、リリトットの側にいた漸が銃を撃つ。  リリトットの足首に巻きついた「ソレ」に命中し、「ソレ」は一瞬動きを止める。  しかし、「ソレ」はまた動き出す。  強靭なる力で、リリトットを沼へ引き摺り込もうと―― 「やめろっ!」  ネコが叫んだ。  すると、沼へ引っ張られていたリリトットの身体が静止する。  ネコが集中する。  万物を浮遊させるその魔力で、リリトットを持っていかれないように全身を引っ張る!  まるで、リリトットを綱にしたネコと「ソレ」の綱引き状態。  両者とも全く退かず、少女の身体は空中に縫い止められたままになる。  そのおかげで、全員は「ソレ」が何なのかを見ることができた。  リリトットの足首に巻きついた、細く黒い紐のような……吸盤がびっしり付いた、グロテスクな触手を! 「うっ……ダメ……だ!」  ネコの魔力は限界を迎える。  徐々にリリトットの身体は触手に引っ張っていかれ、濁った水の中へと沈んでいった。 「リリ! リリ! くそっ、リリィィィ!!」  漸は狂ったように雄叫びを上げると、怒りに震えた手で水面に銃を向ける。  守るべき者を持っていかれた悔しさからか、息遣いもとても荒くなっていた。 「バケモノ……リリを、リリをっ、返しやがれぇっ!」 「待ってください! 落ち着いて、漸さん。沼の中にはミュラさんとピーターさんもいる。  闇雲に撃つのは危険だ!」  テイクが漸を止める。しかし、彼は耳を貸そうとしない。 「知るか、そんなもの……オレは馬鹿だ。リリを守れなかった……。  畜生、畜生畜生、うおおおおおお!!」  ドン! ドン!  怒りに任せて漸は引き金を引く。  衝撃で、水面に波紋が広がった。  波紋は、徐々に大きくなっていく。  沼の中で、何かが動いている……。  ザバァッ  そして、沼の振動と共に触手の持ち主が姿を現す。  燃え盛る木々がその姿を照らした。  黒く、大きな丸い頭。深い暗闇を湛えた目と口。そして、吸盤だらけの触手の持ち主。  ――巨大な、蛸の化け物だ! 「うおおおおああっ!!」  声にならない雄叫びを上げて漸が銃を乱射する。  ズガガガガ、という音と共に、蛸の頭部に銃弾が浴びせかけられる。  しかし蛸の化け物は一向に怯まない。漸は銃弾をリロードし、再び続ける。  すると、沼の中から新たに3つの影が飛び出す。  触手に繋がれた、泥水に塗れたそれらは、ミュラ、ピーター、リリトットだった。  水中に長い間沈められていたため、ミュラとピーターはぐったりした様子で動かない。  リリトットは足首を捕らえられ、ほぼ逆さ吊りのような状態になりながら悲鳴を上げている。 「ミュラ!」 「ピーター!」 「水をたくさん飲んでいるかも……早く助けないと危ないです!」  花蓮は咄嗟に判断し、誰もがあの触手から3人を救う方法を考える。  しかしネコの念動魔力は及ばなかったのだ。  沼の中にいる者を、沼の外からどうやって助ける? 「リリ、リリ……待ってろ、オレがいる。オレがぁぁっ!」  その中でも、漸は完全に錯乱していた。  リリトットだけを見つめ、ひたすら蛸の丸い頭部に銃弾を放ち続ける。  ドン! ドン! ドン! 「おい漸、落ち着きやがれ! おいっ! やめろ!」  ベイトが彼の暴走を見てられないとばかりに止める。  だが遅い。漸の銃弾は、仲間である者の胴を貫く。  ドンッ……!  沼の水面に鮮血が飛び散った。  黒き蛸は、触手にて捕らえた人質であるミュラを、漸の弾丸に対する盾にしたのだ。  脇腹を貫かれたミュラは声も発さず、ただ血を零す。 「ミュラちゃぁん!」  花蓮は悲鳴を上げる。漸は引き金を引くのを戸惑う。  これ以上撃てば、リリトットまで傷つけてしまうかもしれない……。  ガシッ!  漸の動きが怯んだ一瞬をついて、ノアは彼の銃を奪った。 「……落ち着けよ。」 「…………、すまん。」  漸はハッと我に帰り、自身が暴走していた事を悟ると、素直に謝った。  この状況を打破するには冷静になる必要がある。漸はそっと、沼に向き直り―― 「ぶっ!?」  沼の方向から、重量感のある塊が飛んできた。  その塊の直撃を食らい、漸と、近くにいたノアは後ろの茂みまで吹き飛ばされていった。 「ぐ……痛って……何が起こった?」  ノアと漸は、自分達を弾き飛ばしたものが何なのかを見る。  それは、同じく茂みの中に転がっていた。――盾を背負ったピーターの身体だった。 「ピーター、おい、大丈夫か!? ……花蓮、手当てを!」 「ゲホ、ゲホッ……はっ、はっ……うぅ、だ、だいじょうぶ……いててて。」  ピーターは咳き込み、泥水を吐いて起き上がった。  盾を身につけていたおかげで身体に大した怪我は無いようだ。  すぐさま花蓮が駆け付け、ピーターの身体を診る。  ……すると、茂みの外側で新たに2つ、重い衝撃が響いた。 「うわああっ!」 「……いてて……ミュラちゃん、リリちゃん!?」  見れば、沼の岸にミュラとリリトットの身体が叩き付けられていた。  あの蛸は、せっかく捕らえた人質を解放したのか? 何はともあれ、救出する手間は省けたのだが。 「花蓮ちゃん、ミュラちゃんが先! 血が出てる!」 「わ、分かりました……ピーターさん、ごめんなさい!」 「ぼ、僕のことは気にしないで下さい……。」  花蓮はティアに促され、ミュラの手当てをする。  ミュラの脇腹の銃創は、花蓮にとっては浅かった。  一瞬で止血し、傷の保護をする。 「だいぶ水を飲んでます……人工呼吸を……。」  泥塗れになったミュラを、花蓮は懸命に治療する。  意識を取り戻す様子は無い。まだ手がかかるようだ。 「リリは、大丈夫か……? どこか怪我、してないか?」 「うん。……怖かったけど、へーき。……わ、泥だらけ……もう、やだ……。」  リリトットは顔や服が汚れた事を気にしている。  特に大きな負傷はしていないようだ。 「服乾かさないと、風邪引いちゃうな…………ぁ……うっ。ん、んんん……?」  ふと、リリトットは腹を押さえる。  そして、苦悶の声を上げる。……じわじわと、違和感が滲み出てくるようだ。 「ごめん、なんか……気持ち悪いよぉ……。何これ……苦しい……う……うぇ……。」  リリトットは地面に蹲る。全身を押さえて、一心不乱に身体の痛みと戦っている。  漸と花蓮は、彼女の身に何が起こっているのか、理解できなかった。 「リリ、おい、リリ!」 「どうしたのリリちゃん……一体何が……。」  その時、茂みの方から怒声が響いた。 「ピーター、おい、しっかりしろ!」  茂みでは、ピーターが地に伏せっていた。  周りの人間に囲まれながら、必死に呻き声を上げている。 「く、苦しい……身体が、痛い……うぅぅ……。」  何が起こっている? 一同の間に緊張が走った。 「……まさか、毒……。」  花蓮が呟いた。あの黒い蛸の触手に触れたら、毒を受けるということだろうか?  リリトット、ピーターは謎の苦しみで呻いている。もしかするとミュラも……。  ギシッという音が聞こえた。  見ると、沼の中から顔を覗かせた巨大な蛸が、触手を水面に出してこちらを睨んでいる。  ベイトは叫んだ! 「とりあえず、沼から離れろ! あのタコ野郎が来ねぇところで休むぞ!」 ―――  4月22日 1:58 ――― 「……埒が明きませんわ。」  クインシアは、やれやれと首を振る。  精神攻撃でもなかなか情報を漏らさないイグルスに対し、苦戦しているようだ。 「仕方がありませんわ、束縛の魔力を弱めましょう……集中します。  影の兵達よ、見張りに力を入れて下さいませ。」  そう言うと、侵入者4人の周りを影の狼が取り囲む。 「さて、覚悟はよろしいですか、お嬢様。……抵抗しても、苦痛が長引くだけですわ。  そちらのほうが好みなら、構いませんけれど……クスクス。」  クインシアの後ろで、彼女に聞こえないようにデュオが呟いた。 「拷問狂。」  イグルスを除く3人の束縛が弱まる。  ゆっくりならば、上半身は自由に動かせるようになった。  だが、相変わらずその場から一歩も動けない。取り巻く狼すら相手に出来るか危ういのだ。  そして、イグルスは変わらずクインシアの精神攻撃を受け続けている。  彼女を救うにはどうしたらいい。  ハットは考えを巡らす。  ……仕込みはしてある。問題は、どうやって誘導するか……。  深く考えている時間は無い。  とりあえず、ハットは賭けに出た。 「……畜生、どうしろってんだよこれ。なぁ、准尉。」  唐突に話しかけられた希更は、焦りつつ返事をする。 「気合いでどうにかなりませんか!?」 「……魔術の領分に関してはお手上げだ。力めばいいってとこでもないだろ。それに、どうやって全員で脱出するか、だが……。」 「エレベーター、に乗るしかありませんね。」  ハットはチラリとキリューの顔色を伺う。  灰色のマントで隠れてよく分からないが、意志は伝わってきた。  ……無口でよく分からんが、随分便利な奴だ……! 「ああそうだ、エレベーターにさえ乗れればいい。……奴の隙を突いた一瞬でな。  ここに近衛兵が皆いるってことは、それでQEDの筈。」  ここで、あえてハットはクインシアの耳に聞こえるかどうかの声量で喋った。  クインシアは集中していて、他へ意識を向けているかは分からない。  だが、少し変化があった。 「あら……?」  希更は周りを見回した。  取り巻きの狼が何匹か、移動しているのが見えた。  何処に? イグルス一行が侵入した、エレベーターのある入り口の方に。  イグルスは、そろそろ限界が来ていた。  クインシアから直接受ける脳の揺さぶりが、あまりにも強力すぎる。  これが本気を出した近衛兵の実力……。 「……は……こ…………。」  イグルスの口から、呻き以外の声が漏れる。 「…………はこぶ……ね…… …………かい……を…………く……う……。」  薄く、枯れそうな声は、いつものイグルスの様子からは想像もできない。 「……あのひとの…………か……りに……」  ドォン!  その細い声を遮るように、突然爆発音が響いた。  その音が耳に入り、クインシアの集中は乱される。  つまり精神攻撃は途切れ、プツリと糸が切れたようにイグルスの身体は崩れ落ちた。 「イグルス!」 「異常はありませんか! イグルス殿!」  イグルスは頭を抱え、よろよろと立ち上がった。  眼鏡を直し、コートを正す。すると、いつも通りの調子のイグルスがそこにはいた。 「……ああ。問題、ない。」 「ったく、成功率5割以下の賭けだったが、上手くいったな。」  ハットは笑う。クインシアは優雅さに欠けた声で叫んだ。 「何が! 何が起こったんですの!?」  折角引き摺り出しかけていた情報を、もう一歩のところで邪魔をされたのだ。その様子は尋常ではない。  更にクインシアは、この異常事態に動こうともしない影の狼達に対して腹を立てる。 「兵達よ、何をしているのです! すぐに……」 「無駄だぜ。……気付かねぇのかい。」 「何……っ!?」  そう言われれば、灰色の衣を纏った少年、キリューが部屋の中にいない。  一体何処へ? ……そう思うのも束の間。  侵入者達を包囲していた筈の狼達が、突然全身から血を噴いて倒れた。  一匹残らず、その胴体には無数の斬り傷が付けられていた。  まさか、あの一瞬で?  トリードとの戦いの時から思っていたけれど……あの少年はどこまで素早いの! 「何処! 一体何処に行ったのです! あの子はっ!」  最早気品のかけらもない様子でクインシアは荒れる。  そして扇子をハットの鼻先に突き付けた。  その様子を、背後の近衛兵3人は興味深そうに見ている……。 「……貴方ですね。一体、何をしましたの?」  クインシアの瞳が怪しく輝く。  ハットは得意気な顔で、何のことは無いように答えた。 「ただ、俺は心配性なだけでね。この部屋に来る前に、通路に仕掛けをしておいたのさ。  ……計算通りだったな。備えあればなんとやら、だ。」 「お見事です、ハット殿。仕込みも、誘導も。」 「貴様は慎重すぎるところが珠に瑕だが……今回ばかりは助かったな。」  あの爆発音。通路に何か爆薬を仕掛けていたというのか。  エレベーターを封鎖せんと動いた影の兵の有能さが、裏目に出た形だった。 「……で、アイツを止めないとマズいぜ、近衛兵さん達。  キリューは奥に“あるもの”を探しに行った。ここは実験施設として使われてるんだろ、ゴッディアの兵器の。  ……分かるよな、この意味。」  クインシアは恐れた。その意味が直ちに理解できたから。  後ろにいる近衛兵、デュオは「やられたな」と薄く笑った。 「……あの少年を止めるのです。決して進ませてはなりません!  中枢エリアキーを! エリアキーは無いのですか!」  中枢エリアキーがあれば、キリューを追い出すことは簡単だ。  だが、カルデオが残念そうに言った。 「実は、オクトリーに預けていたからね……行方不明なんだよ、今。」 「なッ……。」  クインシアは、余裕のある態度を見せる他の近衛兵に対しても腹が立ったが、  しかし今はエリアキーが不明な事がピンチ。  この施設の奥には、兵器に使う“核”が大量にある。  それを1つでも破壊されたら。……この施設すら、瞬く間に消えてなくなる。  本来はそれをさせないように、近衛兵を警備に当てていた。  だが、近衛兵達は今、この部屋に集合してしまっている……! 「貴様等の探し物は、これか?」  イグルスが懐から何かを取り出した。  ……それは、今の状況の最重要アイテムである、中枢エリアキー。 「取引をしようじゃないか。私達をここから逃がせば、これは貴様等にやろう。  ……さもなくば、キリューが全てを破壊するぞ。」 「何を気取っているのだか……そんなことをすれば、貴女方も粉々ですのよ。」 「構わないさ。どちらにしろ殺されるのなら、道連れを作った方がマシだからな。」  イグルスは強気。一歩も退く様子は無い。  彼女に従う2人も同じ様子で、付け入る隙は無い。  クインシアは、近衛兵ノーネを思い浮かべた。  すぐに動けるとしたら彼女だけ。  しかし果たして、ノーネが侵入者を止められるだろうか……。 ―――  キリューは走る。  ハットの作戦はすぐに理解した。ただひたすら、“核”を破壊する為に突き進む。  自らはどうなろうと知ったことではない。  通路を進んでいくうちに、キリューは白衣を着た1人の少女と出会う。 「あら……あなた……。」  その少女は、キリューを見るや否や状況の異常を察知する。  何やら書類の束を抱えたまま、通路の真ん中に小柄な身体で立ち塞がる。 「なんですか。……ダメですよ、これ以上は。ドクターの許した人以外を入れたらどうなるか……。」  立ち塞がる近衛兵ノーネに対し、キリューは立ち止まり、すぐさま抜刀した。  灰色の衣で頭まですっぽり覆い隠していても、その目は向かうべき方向をしっかりと見据えている。  その迫力に負けじと、ノーネは自分よりも一回り大きい体格の少年に対し牙を剥く。 「あたしに逆らうつもり?」  しかしキリューは些かも怯まない。  その目が語っている。退け、と。 「やだ……。こんな問題解く予定に無いよ。  すぐに研究データを計算しなきゃいけないのに! もうっ! ドクターのいじわる!」  ノーネはイライラして叫ぶと、手に抱えた書類を床に叩きつけた。  データが記された紙がヒラヒラと舞い散る。  それと同時に、ノーネの着ている白衣の内側が何やら蠢く。 「分母と分子が引っくり返ったって、ここは通しゃしないんだから……!!」  華奢な少女の姿であったノーネが、おぞましい本性を表そうとしていた……!  第27話に続く