Another World @作業用BGM紹介: 第28話.『戦塵に塗れた大地にて』  4月22日 2:36 ―――  沼地エリアを出て、高地エリアの入り口の芝生で休息を取るレジスタンス一行。 「……流石に、ここまでは……追ってこねぇか。」  おそるおそる後ろを振り向き、耳を澄ます。  巨大蛸の化け物は追ってくる様子も無い。  夜も更け、濁った夜空に星々が浮かぶ。  動き詰めで全員が全員疲弊していた。テントを張る労力も惜しみ、各人が適当にくつろぐ。  被毒者であるピーター、リリトット、そしてミュラは、花蓮の作った治療薬によってすっかり解毒し、回復していた。 「……具合はいかがですか?」  その質問に各々が大丈夫だと答える。顔色も良くなり、苦痛も消えたようだ。  そしてミュラも、意識を取り戻していた。 「本当に、ごめんなさい。何も、できなくて……。」 「いいさ。ゆっくり休みな、皆。俺が見張りに立つからよ。」  そう言ってベイトは立ち上がり、辺りを見回した。  そしてティアと何かを相談する。 「……とりあえず、夜が明けたら出発すっぞ。」 「オーケー。高地エリアを経由する最短ルートを案内する。  向こうに着けば、ゆっくり休息できるさ。物資もあるしな。」  リリトットが無邪気な声でティアに聞く。 「……到着したら、もう戦わなくていいの? 安全なの?」 「ああ、あそこは強固だからねぇ。」 「ホント? ホントに……ホント?」 「本当。約束しよう、リリちゃん。」  ティアの言葉に、リリトットははしゃぐ。  それを聞いて声には出さなかったが、他の難民であるホーエーやギニーも安堵したようだ。  湖畔エリアに辿り着けば、安全を確保できる。  危険な旅路から、ようやく逃れられる……。  誰もがそんな淡い希望を抱いた。 「……さて、ミュラちゃん。リリちゃん。」 「何?」 「なぁに?」 「泥だらけの服、着替えましょう。女の子なんですから。」  そう言い、花蓮は荷物から衣類を出す。 「えっと、ネコさん。クルミちゃんに手伝ってもらいたいので……お願いします。  男性の皆さんはちょっと、離れて下さいね?」     花蓮とクルミは焚き火の周りの人払いを行なう。  流石に、状況が状況とはいえここからは男子禁制だ。  男勢は揃って林の向こうに行く。渋々と歩いている者もいたとかいなかったとか。  クルミは心の中で、ネコに釘を刺す。 『いい? ……変なこと考えないでよね。お寺!』 『はいはい。別にいーよ。寝てるから……。』 『一体化してるとアンタも一緒なんだから、もう。嘘吐いたら皆に言うからね!』 『……Zzz。』 『むー……。』  一心同体の二人は、考えていることもある程度共有してしまう。  クルミはネコにキツく言うが、彼の精神は眠ったようだ。  花蓮とクルミは、ミュラとリリトットの汚泥に塗れた服を脱がすのを手伝う。  蛸の化け物に、沼に引きずり込まれたおかげで、酷くボロボロになって見れたものではなかった。  焚き火である程度乾いてはいるが、毒々しい色の泥は簡単に落ちそうもない。  更に、よく見ると花蓮の服も酷く汚れていた。  つまり、3人とも着替える必要があるのだった。 「一応、予備に何着か持ってきています。下着も。  ……あ、リリちゃんの服のサイズは……。」 「うーん、ちょっとぶかぶか……。」  小さな体形のリリトットに合う服のサイズは残念ながら無かった。  その為、有り合わせの衣類を適度な大きさに切り、繕う。 「ごめんなさい。湖畔エリアのレジスタンスに到着するまで、我慢して……ね。」 「うん。いいよ。」  花蓮は一応、辺りを見回す。  念の為だ。泥だらけの下着まで替える必要がある為、念の為。 「花蓮ちゃん……大丈夫ですか?」 「え、えぇ……多分。」  ミュラも着替えの衣類で上半身を隠しながら辺りを見回す。  花蓮は仲間を信頼しているが、……ある人物の顔が頭を過ぎる。 「クルミちゃん。」 「うん。分かってるにゃ。」  クルミは腰に提げている剣に手をかけ、林の暗がりを睨んで仁王立ちする。  彼女の視界に入った男が何をされるかは、簡単に予想できる。 「えっと、じゃあクルミちゃんに任せて。……先に着替えて下さい。」 「安心していいにゃー。」  花蓮はミュラとリリトットに、着替えを一式渡す。  ミュラは髪のリボンを解いた。濡れた金髪の後ろ髪が広がる。  辺り一面を漂う謎の空気。  ……無言でいると、何かを警戒してしまう。  リリトットは着替えながら、花蓮に質問した。 「リリ、あの時苦しくてよく分かんなかったんだけど……何したの? 花蓮。」 「何……って?」 「あの蛸のオバケ、花蓮を全然離さなかったじゃない。」  ああ、それなら……と、花蓮は一冊の本を出す。  それは何かの魔術書のような意匠で、古ぼけた装飾がされていた。 「私の魔術は、相手の注意を引き付ける魔術。相手を怒らせて、私に視線を固定させるんです。  人間よりも、動物の思考回路を持っている相手に効果的なんですよ。」  花蓮はその本を大事そうに抱く。  ミュラは下着を外す手を止め、呟いた。 「花蓮ちゃん……そんな危険なこと……。」  ミュラが心配してくれているのを感じ、花蓮は申し訳無さそうに頭を下げる。  自分の身を投げ出すような行為。彼女を不安にさせてしまうのも無理は無かった。  泥だらけのミュラの下着が芝生に落ちる。  リリトットは屈んで、脱いだドロワーズを花蓮に渡しながら疑問をぶつけた。 「魔術……かぁ。あれ、でも花蓮ー。治療士って確か、魔法に頼っちゃダメなんじゃなかったっけ?」 「あら、よく知ってますね、リリちゃん。」  花蓮は目を閉じ、誰かを思い出すように小さい声で言う。 「とある人に、教わったんです。……内緒ですよ。」  とある人。そこを花蓮はぼかしていた。  別に隠すような事では無かった。その人は、レジスタンスの永遠の仲間である魔術師ゼヴルトなのだから。  でも彼女は正直に話すのを躊躇った。  彼と一緒に居た、二人きりの時間を大切にしたいからだろうか。 「ふーん……。」  大きめのスカートを履き、幼さに溢れた上半身を晒したリリトットが鼻を鳴らして返事をする。  花蓮は彼女に替えの上着を渡す。納得してもらえたかどうかは分からないが。  ミュラは替えのブラジャーを着け、シャツのボタンを閉めている。  花蓮はクルミの方を見た。  クルミはゆったりとステップを取りながら見張りに立っている。  剣は抜いておらず、まだ、大丈夫なようだ。  リリトットとミュラの着替えも終わりそうなので、花蓮も自分の服を着替えることにした。  改めて見ると、巨大蛸の触手で思ったよりボロボロにされていた。  ……今思うと、かなりの無茶をしたと思う。よく生きていたものだ。  ボロボロの上着とスカートを脱ぎ捨てる。  外気に晒された皮膚が、焚き火の熱で直に暖められる。  夜風の中で服を脱ぐということに抵抗はあったが、なかなかどうして不思議な感覚だ。  ……と、慣れない体験に少し戸惑いつつ。  それは他の2人も同じだったようで、3人は一斉に微笑み合った。  ザッ! 「!!?」  ……クルミが剣を振り抜いた音だった。太刀筋になぞられた芝生が夜風に泳ぐ。 「誰か……いました?」 「……いる。そこに……。誰?」  クルミがツカツカと、暗がりに向かって歩み寄る。 「しょーじきに出て謝るにゃ。じゃないと、痛いよ。」  少女の脅しに負けたのか、自身を悔い改めたのか、その男は素直に投降した。 「いや……リリが心配なだけだ。勘違いするな。頼む。」  その男は、漸だった。クルミに剣を突きつけられ、両手を上げて言い訳をしている。 「……見てた?」 「いや、オレが心配なのはリリだけだ。他の子に興味があるわけじゃ……。」 「漸!!」  クルミの背の向こうから、漸に向かってリリトットの甲高い声が飛ぶ! 「大人しく待っててよ、もう、漸のヘンタイ!」 「!!!」  ヘンタイ、という言葉が突き刺さったのか、漸はがっくりうな垂れて動かなくなった。  とりあえずクルミは彼を林の外へ追い出す。 「……ごめんね、漸、ヘンタイで。」 「べ、別に大丈夫です……驚きましたけど。」  漸は本当にリリトット一途で、過保護なお兄さんタイプなのか、  それを建前に覗こうとした本当の変態なのか……判断をつけるのは難しかったが。  驚いて着替えの手が止まってしまった。  特に花蓮は下着のままで、今は非常に無防備だ。  クルミがいたから良かったものの、早く着替えてしまわないと……。  花蓮は下着を替えようと、一気に脱いでしまう。 「にゃっ!? 待てー!」  すると、突然クルミの叫び声が聞こえた。  察するに、どうやらまた誰かが覗きに侵入したらしい!  クルミはそれを追って林に入る。……と、焚き火の周りには誰も見張りがいなくなってしまった。 「ク、クルミちゃーん! あまり追いかけなくても……。」  その時、背筋に悪寒が走った。  ……誰かの気配。もう一人、いる。  そう思った時、何処からかガサガサと芝を掻き分ける音が聞こえた。 「キャァッ!」  リリトットは上半身を両手で庇った姿勢で屈む。  花蓮も同じく、隠せるところを衣類で隠せるだけ隠す。  護衛に付けておいたクルミがいなくなった瞬間にこれだ。  ミュラは護身用に置いておいた弓を取る。  スカートはまだ履き終わっていなかったが、この際仕方が無い。  この闇の中で気配を探り、殺傷力の弱いゴム製の矢を番える。  ……覗きに来た味方の可能性もあるが、敵の可能性だってある。  どちらにしても嫌なものは嫌だが。 「……出てきなさい。」  ミュラは威嚇で2,3発適当に放った。  するとガサガサという音は止んだ。  ――と思ったら、嫌な気配がすぐそこまで近付いてきたではないか!  花蓮とリリトットは悲鳴を上げて、地べたにしゃがみ込む。  ミュラはあられもない姿のまま、弓を剣のようにスイングする。  すぐ近くにいる女性の敵目掛けて。  すると、偶然にも弓はその敵に当たったらしく、敵は小さく悲鳴を上げて動きを止めた。 「痛っ! ……。」  その声と、焚き火で照らし出された声で、その人物の正体がすぐ分かった。  ……危惧していた通り、その男は仲間の一人だったからだ。 「……もう、何やってるんですか! ティアさん!」  その男は名前を呼ばれ、誤魔化すように笑う。どうやら逃げるつもりはないようだ。  いや、逃げられないのだろう。彼の背後にはもう一人の人間がいた。 「……で、あなたは?」 「いや、いやいやいやいや、勘違いするな。俺はコイツを止めようと……」 「説得力無いです、ベイトさん。」  ティアの後ろに、彼を追うように立っていたのはベイトだった。  ベイトは姿を見られ、かなり焦っている。 「信じてくれ! 俺は覗きなんて……」 「とにかく。……言い訳は後で聞きますから。」  ミュラも相当恥ずかしい格好だが、その後ろではほぼ裸に近い格好で、花蓮が震えていた。  顔を尋常じゃなく赤らめ、瞳には涙を浮かべている。  リリトットは、信じられないという表情で男勢を見つめている。 「……出てって下さい!! 早くっ!!!」  夜空に、ミュラの怒った声が木霊した。 ―――  焚き火を囲んで、5人の男が正座をしていた。  いや、させられていた。  突き刺さる女の子達の視線は氷よりも冷たい。  正座をさせられているのは漸、ティア、ベイト。  そしてホーエーとギニーだった。 「……ったく、何考えてるんだか。」  呆れ顔をするノア。  クルミが林の中まで追い回していたのはホーエーとギニーだったのだ。  彼らは水魔法などを使ってクルミを撒いたが、結局ノアに発見されて捕まった。 「男として気持ちは理解してやらなくもないが……馬鹿はほどほどにしろ。」 「だってさ……ティアさんが「覗かん奴は男じゃねぇ」って言うから。  なんかそのまま盛り上がっちゃってさー……。」 「乗せられてどうする。……全く。」 「しかし、それに乗じて堂々と覗きを行なったティアさんこそが許されざる者です。」  テイクが仏のような顔で断罪する。 「聞けば、そのお二人を囮にして覗くつもりだったとか。……神は告げられました。覗きは万死に値すると。」 「へへへ……まぁ、出来心出来心。すまんね。」 「これだからティアさんは……もう。」  いつも優しく接していた花蓮も、今回ばかりはヘソを曲げたようだ。 「……俺は違うんだ。誤解なんだぁ……。」  さっきから同じ事を呟いているベイト。  ティアの暴走を止めようとしていたと主張しているが、実のところそれは関係ないのだ。女性陣にとっては。  恥ずかしい姿を確実に見てしまった一人なのだから。 「……とりあえず、お前ら。そこでテイクの説教受けながら朝まで反省してろ。」 「「「「はーい……。」」」」  4人の返事がハモる。 「おおぉ……俺は違うんだぁ……。」  喧騒の輪から外れ、ピーターが水を啜りながら月を見ていた。  もうすぐ、夜も明けるだろう……。 ―――  4月22日 3:30 ―――  湖畔エリアにあるレジスタンスの巨大拠点。  強固な防御により、ゴッディアの侵攻を未だに許していない最大の基地である。  ゴッディアの殺戮開始から今まで、如何なる攻撃にでも耐えてきた。  影の兵を退け、隠れて凌いできた。  物資もまだ大量にある。篭城しての戦いでは無敵の強度を誇っている。  ……しかし、今晩は何かと煩い音が響く。  攻撃一辺倒の影の兵だけではなく、別の狡猾な存在が拠点を取り囲んでいるのだ。  “それら”は何かを仕掛けてくるでもなく、ただこちらをじっと監視している。  こちらから手を出すと反撃してくるが、それ以上の動きは見せないのだ。  湖畔のレジスタンスの面々は、眠れぬ夜を過ごしていた。  管理人捜索の為、単独行動をしているこの基地のリーダー、ティアが不在にしているのも不安原因の一つである。  約束よりも遅いリーダーの帰りに、メンバーは不安を募らせていた。 「……スレイン! あいつら、まだいる?」 「未だに健在だよ。悪い冗談だ……何だってんだ、あのシロモノは。」  軽装をした若い少女と、スレインと呼ばれた少年が会話する。  スレインは双眼鏡で拠点の周辺を見回す。  夜闇に紛れているが、湖畔の四方八方から隠しようの無い機械の駆動音が聞こえる。 「さっき、空を飛んでるのが見えた。……妙な形だが、ヘリか? あれ。」 「人が乗ってるのかしら。気味悪いわね、もう。」 「……迂闊に手を出せる距離でも無いしな。見張りは俺がやるから寝ていろ、リスナ。」  リスナと呼ばれた少女は眠そうな目を擦っている。 「一人で大丈夫?」 「今はな。あいつらが何かしてこない限りは……。」  不気味にこちらを見張り続ける翼機たち。  それを見ていると、スレインとリスナの背後に何かを考え込む男が立っていた。 「……ふむ。持久力が違うな。」 「あ、アサメさん。お疲れ様です。」 「ん、お疲れ。」  アサメと呼ばれた落ち着いた風貌のその男は、返事もそこそこに何かを考察していた。 「エガルとノクスは?」  スレインが彼に聞く。  アサメは「寝てるよ」と返した後、スレインの持つ双眼鏡を半ば強引に奪う形で取った。 「あいつらは機械の翼兵か。……人間である我々より、見張りの持久力は上。  このままこうしていても消耗するだけだ。さっさと寝るといい。」  そっけなくアサメは言う。それが2人を気遣っての発言なのか、違うのかはイマイチ分からない。  しかしスレインは反論した。 「でも、ティアさんがいつ何処から来るか分からないんだぜ。ここで迎えられるようにしとかないとさ。」  その意見は尤も。ティアの帰還の際に、周りの機械達が何もしないとは限らない。  万一ティアが襲われた時に備え、見張りを立てておく必要があった。 「……裏口を開放すればいい。あっちなら気付かれる恐れは無いだろう?」 「裏口か。でもあれは緊急時まで使わないって決めたんだぞ。」 「今が緊急時だと考えればいいじゃないか。全く……。」  アサメはスレインに踵を返し、双眼鏡を使って周囲を観る。 「あの機械兵達は私が見ておく。何か動きがあったら連絡するから、その時裏口を塞ぐんだ。いいね。」  コツコツと淡白に靴音を鳴らし、アサメは見張り台に立つ。  リスナが彼を心配した。 「アサメさん、寝なくて大丈夫……?」 「心配どうも。だが今晩は寝苦しくてね。夜風に当たってたほうがマシだ。」  アサメは振り返らずに答えた。  まさかアサメが自ら見張りに立つとは想像していなかったのだろう、リスナは頭を下げた。  スレインが茶化すように、彼の背中に言葉を投げかけた。 「助かるぜ、ホント。正式にレジスタンスに味方して欲しいぜ。リーダー不在の今はあんたが頼りだからな。」  アサメは拠点の中に入る2人を見送ることもなく、呟く。 「まぁ、レジスタンスやゴッディアの諍いに興味は無いけど、ティアには借りがあるからね……。」 ―――  4月22日 3:45 ―――  厳かなる場が存在していた。  鋼材で造られた、まるで宮殿の一室のような豪奢な空間。  床には高級な絨毯が引かれ、置かれた数々の装飾品が高貴に光る。  そして部屋の奥、壇上に神々しく君臨する、王の玉座。  そこに座すは、空間の主である、王。  王が立ち上がると、まるで呼応するかのように空間が揺れる。  まるでその威厳を讃えるかのように。 「……今日は、揺れが少なくて落ち着くな。」  その王に対し、皮肉のように軽口を叩く男がいる。  気の短い王ならば、無礼だと叫びその男を罰するのだろう。  王を取り巻く従者の間に、ピリピリとした空気が走る。  だがその王は、豪奢な外見からは想像できないほどの、さっきの男と同じように、軽い口調で語り出した。 「揺れるのは嫌いか? 清水。」 「食いモンがマズくなるからな。……それに、揺れが強い日はここに来るのも一苦労なんだ。」  清水と呼ばれた、2メートルもある武器を担いだ男の口元が緩む。 「……本当、ここの食事は嫌いじゃないからな、バンブー。今のAWでまともな飯が食える所といったらここしかない。  料理長を死なすなよ。」  バンブーと呼び捨てにされた王が、豪奢な外見に似合った笑い声を上げる。  高級で丈夫な、かつ品格のある服を纏った全身が威厳を放つ。  それは、若々しい顔にはまるで不釣合いに感じるほどの雰囲気を感じさせる。 「安心しろ。ここの守りは万全だ。ゴッディアの指先すら届かんよ。」 「そうか。……次来た時も楽しみだな。」 「もう行くのか?」 「夜が明けるまではいるさ。」  バンブーと清水は、まるで友人同士の会話をするように親しげだ。 「もう、次の傭兵の仕事があるのか?」 「いや特には。……そろそろ、あの日から時間も経つ。弱い奴は誰も生き残ってないだろう。  傭兵なんて雇う奴はめっきりいなくなったさ……。」 「仕事の当てはあるか? なんなら、我がお前を永久に雇ってやるぞ。」 「止せ。息が詰まる。……既に立派な護衛がたくさんいるだろう。」  清水の言葉が、バンブーの周囲に居る無言の護衛達を指す。  護衛は3人。  1人は赤い鎧と兜を身に着け、その兜の隙間から亜麻色の髪を覗かせている女性。  1人は学者風の出で立ちの初老の男性。温厚そうな顔つきとは裏腹に、眼光はとても鋭い。  1人は生真面目そうな青年で、誇り高そうな白い鎧を身に纏っている。  その3人は全員が全員、腰に立派な業物の剣を提げていた。  バンブーが彼ら3人を自慢するように、威厳ある声を張り上げて名を呼んだ。 「紅深(こうみ)。時守(ときもり)。依岳(いだけ)。……我の忠実な臣下だ。お前の実力にも引けは取らんだろう。」 「……そのようで何よりだ。」  清水は3人の臣下を観察する。  いかにも王者に仕える者として相応しい立ち振る舞い。  バンブーという男が如何にしてこの戦力を集めたのか、以前から気にはなっていた。 「ベランダの力は凄いな。実に頼もしい。……ゴッディアの近衛兵相手に梃子摺っているレジスタンス勢もいるってのに。  ……本当に、一国を立ち上げちまうつもりなのか。」 「前々から言っているだろう。我はこのAWにベランダ帝国を築くと。その為の準備は万全だ。  突然現れた、何処の馬の骨とも分からん連中には渡さぬよ、この大地はな。」  バンブーは高い志を掲げる。  清水はこの男とは古い付き合いになるが、両者の生き方は完全にスケールが異なっていた。 「……しかし、どうやって集めたんだ。そいつら。今じゃ何処のエリアも戦力不足で悩んでるぞ。」  清水はバンブーに疑問をぶつける。  バンブーは軽く微笑み、何も隠す事は無いかのように答えた。 「なに、大した事ではない。以前より我は協力者を募っていたのでな。  あの日、あの影の軍がやってきた時に、満を持して召集させてもらった。  切り札である、このベランダの“城”を動かす為にな。」 「城、ねぇ……。」  そして、バンブー=ベランダーとその協力者達は、改めて契りを交わした。  王者とその臣下として、AWを蹂躙する巨悪と戦う為に。 「紅深は険しき山岳で修行を積んだ剣士。女ながらにその腕は一流だ。  依岳は平原の戦士であり、無尽蔵の体力を持つ有望な若者。」  紅深と依岳は恭しく頭を下げた。 「そして時守は、砂漠の地にて名を馳せた高名な研究者である。  我はその高い知能を買っているが、剣術の腕もなかなか侮れない。」  時守も頭を下げる。 「……何より、この男は砂漠にいるであろう家族を顧みずに、我の元へ来てくれた。  我はそれに感謝している。……後悔は無いか、時守。」  バンブーに問われた時守は、既に覚悟は決めた様子で答える。 「砂漠には、私の息子がおります。愚息ながら、あれももう一人前。  私の迷いはありませぬ。この命、皇帝陛下の為に。」 「心配するな。我はお前を生きて帰そう。家族の元へな。」  バンブーとその臣下の絶対的な忠誠と信頼。  それを見せ付けられた清水は、感心を通り越して複雑な気持ちになる。 「……まぁ、簡単にやられてくれるなよ。」  再び、部屋がユラリと揺れた。  清水は空を見る。  月は徐々に落ちていた。 ―――  4月22日 4:40 ―――  山岳エリアは、巨大な山脈を丸ごと内包した険しい地形の秘境。  山頂――AWで最も高度がある場所には、火山としての活動の証である火口が存在する。  尤も、今現在は何故か火山のパワーは弱まっている。  昔はモクモクと火口から噴き出ていた噴煙が、今はすっかり止まっている。  近隣の集落に住まう者達はそれを、何かの災いの予兆として懸念していたのだが……。  先日のゴッディア襲撃により、あやふやになってしまったようだ。  火山が冷え、山岳エリアの環境にぽつぽつ異常が出始めていた。  都市エリアから見て山の向こうにある大雪原。その冷たい気候が徐々に山岳エリアに及んできたのだ。  元々、火山灰の影響で太陽の光が遮られ、気温が低く抑えられていた雪原エリア。  やがて長い年月を経て地形も変化し、独特の雪国としての気候を生み出した。  その温度環境が、冷え切った火山を逆に包み込み始めたのだ。  山頂を境に、北側に雪が降り注ぎ、人にとってはより厳しい環境へと変化した。  その山岳エリアの北側を目指し、山の中腹を一人の青年が孤独に歩いている。  できるだけ開けた道を選び、ゆっくりだが安全に、迷わずに山頂へと登っていた。  白いコートの格好で、特に登山用の装備をしているわけでもない。  それは厳しい山岳の環境相手に、まるで死にに行くのと同じであった。  その男の表情にも、生気は宿っていない。  まるで死に場所を探しに行くかのような……端から見れば、そんな様子だった。 「……おっと。」  道を歩く男は、ふと立ち止まって耳を澄ます。  何かが暴れる……いや、争う音が聞こえる。片方は人間の声を発している。  まだ日は昇らず暗いが、そう遠く無い場所で起こっているということは分かった。  男は右手を水平に上げ、闇へ向かって突き出す。  いや正確には、右手の人差し指を音のする方向に向けた。  その指には、毒々しくも美しい輝きを放つ紅色の宝石……のついた指輪がされていた。  男が何かを唱えたわけでもないのに、その指がチカッと光る。  するとその指から、一筋の光の糸のような閃光が飛んだ。  その光は闇に包まれた山道を照らしながら突き進み、一本の木に突き刺さり動きを止める。  ……木が揺れる音がかすかにして、そのまま静寂が周囲を支配した。 「……!」  男は咄嗟に右手を上げ、静止する。  右手人差し指の向く方向には、人影があった。  その人物は、男に銃器を突き付けていた。  ――両者の間に緊張が走り、少しの間時間が止まる。  男も人影も、共に飛び道具を持っている。迂闊に動けずにいた。  やがて男から口を開く。 「……何者ですか。」 「…………答えてやってもいいですけど、それを下ろしなよ。」 「では先に、あなたのそれも下ろして貰えませんか。」 「……。」  やがて観念したように、その人物は銃を下ろした。  そして、子供っぽい高い声を上げて喚き出した。 「ちぇ! 負けだ負け! 何だよ、その指輪! いい性能してるじゃん……。」  その人物は、少年とも少女ともつかない声であった。 「……ボクの銃、さっき弾切れしたばっかりだし、勝てないよ……あーあ。もう。」  男がその人物を呆気に取られて見ていると、その人物が不思議そうに尋ねる。 「どうしたの? 殺さないんですか?」 「え。あ、いや……。」  男は調子を狂わされた、と思いながら質問する。 「別に私に殺生の意志はありません。私の名はリア。……あなたは? こんな山道で、何を?」  男の目の前の人物は、もう何もかも諦めたような雰囲気で答える。  暗くてよく分からないが、子供のような顔立ちをしていた。 「……ボクはキャフェリー。別に、暇潰しですよ。  ゴッディアの雑魚がたっぷりいますから、ここ。好きなだけ殺せるでしょ? ……ねぇ、オジサン。」 「お、おじさん……」  リアは拍子を抜かれる。心の中で反論せざるを得なかった。  自分はまだ20代なのだが。 「こんなとこ来るの、普通の人じゃないでしょ。ゴッディアじゃないならなんなんですか?」  キャフェリーは不思議そうな顔で無邪気に問う。  子供のような口調に、中途半端な敬語が混じる。  全身をよく見ると、半袖に半ズボンで中性的な顔立ちをしていて、髪はショートの栗色。  ……見れば見るほど、この場に釣り合わない子供だった。 「私は、死に場所を探しています……。この呪いを封印する為に。  一刻も早く先へ進みたいので……失礼しますね。」  リアが早足でそこを離れようとした時、キャフェリーが無邪気に、残酷に笑う。  そして足元に落ちていた大きめの石を拾い、笑いながら言った。 「何。何。オジサン、死にたいの。手伝いますよー?」  笑いながら、殺意を持った目でリアににじり寄るキャフェリー。  それは多分、死を知りたい子供のような気持ちで。 「……ここじゃダメですよ。まだ場所が悪い。……君にも迷惑がかかる。放っておいて下さい、私のことは。」  目もくれず先に進むリアに、キャフェリーは不満げに言う。 「訳分かんない。死ぬならどこでもいいじゃん……。」 「君こそ、そんなに人殺しになりたいんですか?」 「だって、今までゴッディアの雑魚はたくさん殺しましたけど……まだ人間は一人もやってないんですよ。  お願いします! ね! ボクに殺されて下さいよ!」  目を輝かせて懇願するキャフェリー。  そこまでして殺しに執着するのはどうしてなのか。殺しを悪い事だと思っていないのか。  リアは別の意味でも、この子供に殺されるわけにはいかないと思った。 「私は私に相応しい場所で死ぬと決めていますから……。決して、誰の手も届かない場所へ……。  行かなければ……ならないんです……。君も、帰るべきところに帰りなさい。」  キャフェリーは不満げに鼻を鳴らす。しかし、何かを思いついたようにはしゃいで、提案した。 「じゃあ、そのオジサンの死ぬ場所ってところ、ボクも探しますよ。そしたらいいよね。ね!」  リアはこの子を無視して先へ進む。  しかしキャフェリーは離れる様子は無い。 「やめて下さい。私の側に近付かないように。……私が死ぬ前に、君が死にますよ。」 「ボクが? ……それも悪くないかぁ、面白そうだし。」  何だろう、この子は。リアは思う。  あまりにも生と死の境目を軽んじている。  ゴッディア襲撃により、尊い命がたくさん失われたというのに。  ……忘れられない、あの巨大な惨劇。その犠牲となったエリアもあるというのに……。 「……勝手にしなさい。」  リアは結局、適当な返事を返した。  隙を見て姿を眩まし、この子を撒けばいいだろう。  キャフェリーは喜んだ様子で、リアの背後にくっついて歩き出した、  ……この子がどういう過去を歩んで来たのか、リアはとても気になった。  しかしリアは、自分の使命を自覚し――頭を振る。  ――私の運命が、他人を傷つけるような事があってはいけない。  リアは右手を握り締め、山岳を進む。  ……と、その途中でリアは背後のキャフェリーに疑問をぶつけた。 「そういえば君。……性別は?」 「え?」 「男の子ですか? 女の子ですか?」 「……。」  その直後、何故かキャフェリーの機嫌は悪化する。 「どっちでもいいでしょ? 何か問題あります? ボクが男だろうと女だろうと。  そんなに気になるんですか、オジサン。何で? ねぇ何で?」  急に噛み付かれたリアはたじろぐ。  何だ? 触れられたくない話題だったのだろうか。 「あ、いや別に……。」  キャフェリーは口を噤んでしまった。  ……性別のことにコンプレックスが?  リアは頭を掻く。  ……まぁ、どっちでもいいか……。 ―――  AW、4月22日。  この日の夜が、徐々に明けてゆく……。  戦塵で汚されたこの大地は、再び太陽の光に晒されるだろう。  この世界の滅びの刻が、少しずつだが確実に、近付いている。  第29話へ続く