Another World @作業用BGM紹介: 第32話.『湖の基地』  4月22日 13:17 ―――  安全な場所に移動し、負傷者の手当てが行なわれた。  花蓮は背中の傷を応急処置してもらうと、すぐにノアの火傷の具合を診た。  素人が見た感じでは、ノアは全身を酷く焼かれていて、相当重い怪我だと判断できる。  しかし、意外にもノアの火傷は軽症で、花蓮の治療中に意識を取り戻したのだった。 「見た目より重い火傷じゃないみたいです。焼けてるとしても、皮膚の表面ばかりで。」  命に別状は無いが、しっかりとした設備がある場所で休ませたほうがいいと花蓮は言う。  ティアが「拠点に着けば設備はある」と言うので、一行は休まずに先に進む事にした。 「あいつ……。」  ノアは、正気じゃなかったレオを思い出す。  もしかして無意識の内に加減をしてくれたのか?  レオの身に一体何があったんだ……。  悩むノアのことは露知らず、ホーエーとギニーが何処からか戻ってきた。  彼らは安全な場所まで逃げていたらしい。  ホーエーは力になれなくてごめん、と謝り、ギニーにもそれを促した。 「ギニー。一体何処まで逃げてたんだ。……全くもう。」 「あ、ああ……ごめんよ。ちょっと逃げすぎてた。」  実際のところ、ギニーはそう遠くまでは走っていないのだが、彼はそう答えるしかない。  ギニーは俯いたままでいる。何かあったのか、と聞くと、疲れたとだけ答えた。 「全くギニーは……あ。」  ホーエーはレジスタンスの人の群れの向こうに、傭兵の姿を発見する。 「あ、あの……傭兵さん! 名前の無い傭兵さん!」  名も無き傭兵は、レジスタンスの面々に背を向けて何処かへ去ろうとしていた。  それにホーエーが声をかけると、彼は面倒そうに振り返る。 「……なんだよ。」 「ありがとうございました。えっと、報酬を……。」 「いらねー。」  興味無さそうに、傭兵は顔を逸らした。  理由を尋ねると、それを答えるのも面倒くさいといった風に答える。 「別に、倒そうと思った奴には逃げられたしな。……テメェのリクエストにゃ何一つ答えてねぇ。」 「でも、君は助けてくれたんでしょ。皆のピンチを。」 「知らねーってそんなの。……あーあ面倒くせぇな。」  傭兵はホーエーを強引に振り切って何処かへ去ろうとする。  釈然としないホーエーは負けずに食いついた。 「これから、何処行くの。」 「……何処でもいいだろ。」 「ボク達、これから湖畔エリアのレジスタンス拠点にお世話になるんだ。良ければ君も一緒に。  皆にはボクから言っておくから。」 「ふざけろ。……背中がムズ痒くなんだよ。」  傭兵は足早にホーエーから遠ざかる。 「あの、君……ああもう、いい加減名前教えてよ!」  傭兵はピタリと足を止め、これが最後だと言わんばかりにホーエーに言い放つ。  顔には悪戯っぽい笑みが少し含まれていた。 「テメェみてーなのに呼ばれたくねーから、名前捨てたんだよ、俺ァ。  この世界じゃ生き残るか死ぬかだ。……戦わねぇ奴には分からないかもしれないけどな。  馴れ合うのはこれっきりだ。次会う時は、テメェの敵かもな。」  名も無き傭兵はホーエーに背を向け、ポケットに手を入れて孤独に去る。  ホーエーは何も言えず、傭兵を見送ろうとした。  しかし彼は、胸の奥から込み上げて来た一言を、去り行く男の背中に投げ付ける。 「……信じてるからさ。君とも、仲間になれるって。」  名も無き傭兵の口からは、別れの挨拶代わりに電子タバコの蒸気が出た。  ネコはクルミと交代し、斬燕のことについて一部始終を皆に話した。  あの時見せた身体能力。まさにクルミと同程度の能力だったのだから。 「……で、この子供がねぇ。」  斬燕はケロッとした顔でリリトットから貰ったビスケットを食べている。  この子供がヘリを圧倒したなどと、何処か信じられないのが本音だった。 「斬燕くん、すごいにゃー。一体、どういう訓練したの?」  親近感を感じたクルミは斬燕と一緒に座り、目線を同じにして優しく話しかける。  斬燕はビスケットをむぐむぐと飲み込むと、裏表の無い笑顔で言う。 「だって、君の動きを覚えてたから。それを真似したんだよ。  ……今はもう忘れちゃったんだけどね。」  あれこれとクルミと斬燕の問答が繰り返される。  どうやら斬燕は、他人の動きを完璧に真似できるという特技があるようだ。  しかも本人にはそれが特別だという自覚は無く、生まれ付いての能力だということらしい。 「……天才肌か? このガキ。」 「そうかもしれませんね。」  ベイトとテイクが不思議そうに斬燕を見て、しみじみと会話をする。  斬燕が只者では無いということが明らかになったが、彼の素性はまだ良く分からない。  とりあえず、斬燕も同行させて拠点に連れて行く事になった。  結局は彼も、故郷を破壊された幼い少年に過ぎないのだから。  ティアの案内で、レジスタンス一行は開けた場所に出た。  そこから見えるのは大きな湖。眩い太陽の光を反射する広い水面が、一行を出迎えた。  ゴッディアの襲撃に合うまでは、この湖畔も綺麗な名所だったに違いない。  澄んでいたはずの湖水はどこか濁り、哀しさを感じさせた。  湖の真ん中に、大きな茶色の屋根の建物が見える。  ここに初めて来た者は、説明されずともそれが湖畔エリアレジスタンス拠点だという事が分かった。  難攻不落を誇る、レジスタンス最大の拠点。  そこに辿り着けば安全が保障される……数名の難民は、強い希望を感じた。 「全員止まれ。……やっぱり、ここもか。」  ティアが一行をストップさせた。何か、怪しいものを見つけたらしい。  全員が気になって湖の上を見渡す。 「……さっきのヘリだ。あれと同じ奴らがあそこを包囲してる。やっぱり、目を付けられていたな。」  湖の中心の建物の周囲を、何かの物体が飛んでいると思ったら……それは、先程戦った妙なヘリの軍団だった。  やはり湖の拠点は監視されていたらしい。  どうやって拠点に辿り着けばいいか。それを考えようとしたティア達の背後から、誰かの声が聞こえた。 「お待ちしてましたよ、ティアさん。」 「……! ノクス!?」  ティアは振り返り、その人物の名前を呼ぶ。  どうやらティアの知っている人物のようだった。 「この人らは? 一緒にいるってことは、何処かで保護したお仲間ですかね?  まあいいです。話は後で。速やかに僕の後ろを付いて来て下さい。……騒がずにね。」  ノクスという大人しそうな細身の男は、湖畔エリアの拠点に滞在するレジスタンスの一員だ。  それだけをティアは一行に説明し、黙ってノクスの後に続いて歩く。  数分後、湖から離れた雑木林の中で、ノクスは足を止めて振り返った。 「……全員、来てますね? 通れるのは一瞬だけです。速やかに、そして静かに。」  口に指を当てて、静粛を念押しするノクス。  一行がそれに頷いたのを確認すると、足元の緑色の茂みに手を差し入れた。  そこに、まるで細い隙間があるかのように――ノクスの手は茂みの中に吸い込まれ、雑草の群生の中に溶け込む。  すると、ゆっくりと……音も立てずに、ノクスの足元にマンホール大の穴が開いた。 「梯子が付いています。気をつけて降りてきて下さい。……すぐに閉まりますからね。」  それだけ言うと、ノクスはその穴の中に飛び込んだ。  ティアもその後に続き、暗い闇の中に飲み込まれる。  その穴は、覗いても底が見えない暗闇。  この先にレジスタンスの拠点への通路が?  疑問は湧くが、ティアが飛び込んだ以上迷っている暇は無い。  1人ずつ順番に、一行は慎重に闇の中を降りていく――  全員が穴に入ったのを確認したかのように、穴の入り口はすぐに閉じた。  一瞬、光も差さない暗闇に飲み込まれる。少しすると、ぼんやりと明かりが点いた。  ところどころ、壁などに小さなライトが埋め込まれているようだ。  一行の目の前に、薄暗いコンクリートの通路が広がる。それは先が長く、細いトンネルのようだった。  先頭にいるノクスは、安全を確認してほっと一息を吐く。  ここまで来ればもう安心なのだろう。 「……紹介が遅れましたね。僕はノクス。湖畔エリアのレジスタンスの一人で、ティアさんの仲間です。  貴方がたの事情は……説明は受けてませんがまぁ察しました。受け入れて問題ないのでしょう?」  ノクスはティアに話を振る。ティアはニコリと笑って頷き、それを肯定した。  ティアの判断が絶対だとでも言うように、ノクスは初対面の一行の素性を聞こうともしない。  それほどまでにティアを信頼しているのだろうか。 「早速、部屋の準備をさせましょう。ええと、1、2、……11人、ですね?」 「助かる、ノクス。……しかし、いやに的確だな。確かに、裏口開放が最善だけどさ、あれだと。」 「緊急時ですから。ボートを使えばあのヘリ群がどう出るか分かりませんし。  ……と、アサメさんがそう指示していました。」  会話が2人の間だけでやり取りされる。  長い通路を歩く中で、最も早く痺れを切らしたのは漸だった。 「あのさ。大丈夫なんだろうね、この通路……。ちゃんと湖の上の拠点に繋がっているのか?」  漸は不満の声を漏らす。彼の横に居る、不安げな表情をしたリリトットの代弁のつもりなのだろう。  ノクスはその質問が想定済みであるかのように、落ち着いて答えた。 「ええ。ここからだと少し長いですけど、確実に。辿り着きますよ、絶対安全な場所に。  難攻不落、レジスタンス最大の拠点ですからね。」  ノクスは胸を張って見せる。  漸は訝しんだ。 「……リリの為にも、オレ達難民は安全な場所が欲しいんだ。そもそも、どうして難攻不落だと言える?  実際、湖の上の建物はヘリに包囲されているじゃないか……。」 「確かに、あそこは今、厄介な者に監視されているようです。おかげで今はボートでの移動ができない。  ……ですがあそこは――、見張り小屋は、我々の拠点の一角に過ぎないのですよ。」  その言葉に、漸だけでなく今日初めてこの場に足を踏み入れた者が耳を傾ける。  ノクスはティアの了解を得、拠点の秘密の説明を続けた。 「湖上の見張り小屋はダミーです。この拠点の規模はあんなものではありませんよ。  本当の拠点は、ゴッディアは当分手を出せない。」  通路を歩いていくと、やがて大きな扉に突き当たった。  その取っ手を掴み、引きながらノクスは言う。 「何故なら。……最小限の入り口に隠された、この湖底の空間そのものが……我々の拠点なのです。」  扉の先には、広々とした空間が広がっていた。  整然と並べられた椅子と机、そして機器類。壁に掛かっている、巨大な蒼い旗はレジスタンスの証。  その、簡素ながら荘厳な部屋の中心に、落ち着いた風貌の男が腕組みをして立っていた。  ノクスはその男を「アサメさん」と呼び、外から来た一行に簡単な紹介をする。 「よく帰ってきた、ティア。  そして、ようこそ。湖畔エリアレジスタンス拠点……いや、湖底レジスタンス基地へ。」  そのアサメの言葉で、大抵の者になんとなく理解が及んだ。  この地下に造られた広大な通路と空間が――自らが死に物狂いで求めていた目的地、『湖畔エリアレジスタンス拠点』なのだと。  とうとう、辿り着いたのだ。 ―――  4月22日 14:55 ―――  まず、負傷者の手当てが最優先で行なわれた。  拠点内の個室の一つに人が集められ、身体の精密検査を実施される。  さすが最大の拠点だと言うべきか、治療の為の設備は立派なものが十分揃っていて、花蓮も驚きの声を漏らした。  更に、湖底基地内にも腕のいい治療師が常駐していて、万全の体制で全員の治癒が行なわれた。  基地の治療師エガルと、その補佐を行なうリスナ。  2人の連携により、一行の負傷は小さな擦り傷から跡の残る裂傷まで完璧に処置が施された。  心配されていたノアの皮膚の火傷も、全く問題無く治療されたのだった。 「……凄いです、凄い……。」  花蓮は目を丸くする。  自分の他に腕の良い治療師に巡り合えたことによって、この拠点の優秀さを改めて実感できたようだ。  続いて、基地のレジスタンスの一員、スレインとノクスによって基地内の案内が行なわれた。  この基地は数階にフロアが分けられており、エレベーターと階段で移動することができるらしい。  この基地の構造を、地表から下へ順番に説明していくと、  まず、湖面の上に突き出た建物が見張り小屋になる。ノクスの説明にあった通り、主に外部からのダミーとして機能している場所だ。  この小屋だけでも荒野エリアの拠点より一回り大きい広さがあり、驚くべき規模があると分かる。  小屋の周りはすぐ水辺が取り囲んでおり、ボートなどを用いらなければ対岸に移動できない「表の入り口」となっている。  この小屋から隠しエレベーターで下層に下りると、次に到着するのは個室群のフロア。  生活に必要なものは一通り備え付けられてある部屋が多数あり、メンバーはここで休息を取る。  部屋数にはまだ余裕があり、難民の受け入れさえ可能な規模を有している。  その個室群から移動できるのが、湖底との境界に建設された発電機械室。  管理者スレインを始めとしたメンバー達は、この部屋の装置を動かして基地内の動力を確保する。  水力を利用した複雑な魔法式の発電装置は、アサメのアイディアによって造られたものらしい。  そこから下の階層には、大きな二つの会議室がある。  小会議室と大会議室に分かれており、基地内の人間が集まる際に使われる場所だ。  数十人は収容できるスペースを持ち、有事の際も場所に困ることは無い。  なお、調理器具を持ち出すことによって多人数の食堂としても機能することがある。  最下層までエレベーターを動かすと、そこにあるのは物資を保管する為の倉庫群。  温度などの環境が異なる数部屋に、多量の貴重な物資が大切に置かれている。  武器や生活必需品の備蓄、消耗品や食料の数々。レジスタンスの生命線と言えるそれらの物資は、  厳しめに見積もっても、あと1年分の備蓄があるようだった。  会議室のある階層からは、四方の方角へと延びる横穴がズラリと並んである。  これこそが湖畔レジスタンスの駆使する「裏口」と呼ぶ出入り口で、目立たないようにカモフラージュされて湖岸の至る所に隠されている。  慎重に行動する限り、ゴッディアの監視にすら気付かれずに移動をすることができるのだ。  拠点内を直に見ることによって、安全に不安を抱いていた者も何も言わなくなる。  かつてないレジスタンス側の最大の拠点。  ゴッディアの侵攻に対抗できるだけの、十分な施設であることは間違い無いのだ。 「元々、何かあった時のために造られていたシェルターを突貫で改造したんだ。  足りない技術は、アサメが来てくれたことによってなんとかなったよ。」  ティアから、アサメという男についての紹介があった。  アサメというのは、外から来た一行を出迎えた落ち着いた風貌の細身の男。  スレインやノクスと同じく湖畔基地の一員だと思われたが、どうやら特別な事情があるようだった。  彼はゴッディアの最初の襲撃があった直後、湖のほとりで倒れているのを発見された。  ティアは数名の同士とアサメを介抱したが、その時の彼は身体に傷一つ負っていなかったらしい。  その代わりに精神が酷くやられていて、まともな話もできなかったという。  ティアは湖底の基地を改造する傍ら、知人の治療師を呼んでアサメの治療に当たらせた。  その甲斐があってか、数日後にはアサメの精神が回復。健常者としての十分な能力を持つまでに治癒した。  アサメは精神に異常をきたす以前の事は一切覚えていなかったが、魔法と物理についての深い知識を持っている自覚があった。  その知識は湖底基地の改造の際に十二分に発揮され、現在の強固な拠点を造るに至ったという。  それからというもの、アサメは自身の記憶を探りつつティア達レジスタンスに協力しているのだ、という。  アサメは一体何者なのか。それは深い謎に包まれている。  しかし、湖底基地のメンバー達は……彼を慕って、同じ仲間のように接しているのだった。  この世界において、同じ願いを持つ同士だと――心から信じたいから。 ―――  それから、大会議室で情報の交換と整理が行なわれた。  現状の整理、それぞれの自己紹介。  会議室に集ったのはこの湖底基地に在する“全員”。  レジスタンス・湖畔エリアのメンバーである、  ティア、スレイン、エガル、ノクス、リスナ、そして協力者のアサメ。  レジスタンス・荒野エリアから移動したメンバーは、  ノア、ミュラ、花蓮、ベイト、ピーター、テイク、ネコ&クルミ。  その荒野エリアのメンバーの保護を受けつつ同行した難民達、  ホーエー、ギニー、漸、リリトット。  そして、先程出合った湖畔の村の生き残り、斬燕。  その全てが会議室で、知りうる全ての情報を交し合った。  荒野、そして砂漠の出来事、ここまでの道程のこと。  ゴッディアの部隊長、近衛兵、危険な兵器、武装ヘリ。  イグルスという女が指揮を取る謎の集団。  そして、ここまでに散った――もしくは、行方を見失ってしまった仲間のことも。  ティアは回顧する。  ――そうだ、お前達に紹介したい奴がいるんだ――  ここに帰還してから真っ先に、再開した同志達に向かってティアはそう言うつもりだった。  その男は、今は共にいないのだ。レジスタンス志望の、暑苦しく熱い心を持つ巨漢ゴジャーは。  ノアは悔やみ続ける。  砂漠で初めて出会った強敵の前に、成す術も無かったあの時の事を。  そして、約束を守ることすら敵わず――大切な仲間みゆを、手の届かない場所へ追いやってしまった事を。  花蓮は悲しみに身を浸す。  かけがえのないものをたくさん失った。親友だったみゆのことだけでなく、彼の事も。  あの夜、共に過ごした魔術師ゼヴルトの言葉を、仕草を思い出してしまう。  ベイトは歯軋りをする。  ゴジャーと共に、未だに行方が分からない同士Wars。イグルスの言葉は所詮、甘言だったのか。  とうとう戻ることは無かった彼の身が、今はどうなっているか……ベイトはもう、悪い方向に予想がついていた。  犠牲となった者達の命を抱いて――レジスタンスは、更に戦いを続けねばならない。  まだ、理不尽なる殺戮の手は止まないのだから。  情報の共有があらかた終わり、続いて今後の目的についての整理と確認が行なわれた。  この湖底基地では、外部からの襲撃に対し篭城戦を行なうこととなる。  といっても、現在襲撃があるとすれば、見張り小屋を包囲する謎の武装ヘリの軍団によるもの。  建物に立て篭もりながらの防衛と考えると、大きな戦いにはなりにくそうだった。  それよりも警戒すべきは毎晩0時に行なわれるゴッディア近衛兵の審判。  トリードの炎の魔砲がこの湖底の基地を破壊することは有り得ないだろうが、見張り小屋は焼き尽くされる可能性はあった。  湖上の小屋が消滅してしまうと湖底基地の存在が明らかになり、敵の突入を許すことになるかもしれない。  それに対してどうするか、よく検討する必要があった。  そして、レジスタンスとしての行動目的として優先されるべきは、AWの管理人の捜索。  未だ行方知れずの世界最高責任者エタニティは今どこにいるのか。  生きているのか、死んでいるのか――仮に死んでいる場合は、その遺体をゴッディアより早く確保する必要があった。  エタニティの身体と共に受け継がれるAW管理人の権限は、敵に入手されると厄介なことこの上無いのだから。  その管理人捜索について、数日前から外に出て行動を行なっていたティアの成果はどうだったのか。  一同は、ティアの話を聞くこととなった。 「あー、残念ながら……有力な情報は無かった。」  その言葉に、一同の中から失望のざわめきが湧き立った。 「ただ、ゴジャーに出会う少し前……森林エリア外れの集落でな、エタニティらしき姿の男を見たという情報があったんだ。  そう、あれはとってもお尻がエロい村娘ちゃん……ゲフンゲフン! じゃなくて、若い女性から得た話でな。  川のほとりで……何だったけな、川上の方に行くのを見たとか。それだけなんだよな。」  誰かがすぐに問う。 「誤情報って可能性は?」  そしてすぐにティアが答える。お手上げだというように両手を上げて。 「誤情報も何も、証拠すら無いからなー。確かめに行こうとも思ったが、川上は中枢付近で敵さんの縄張りだ。  仕方が無いから、そのまま帰ろうとした途中……ゴジャーに会って、道に迷ったってわけさ。」 「もう、樹海なんか通るから。」  リスナが、笑い混じりに言う。ティアのそういうところはもう分かっているという風だった。  とにかく、管理人についての情報はほぼ無いに等しかった。  再び捜索をしに、基地の外に出なければならないだろう。  だが今は長旅で疲れた身体を休める時。治療師エガルの腕の良さもあり、動けないほどの後遺症が残った者はいなかった。  全員に生活用の個室が割り振られ、この場は解散となった。 「それじゃ、ゆっくり休めよ。明日の朝7時、またここに集合だ。」  ティアの言葉にまばらに返事が返り、緊張の糸は解れて全員が散り散りになった。  基地内を移動するエレベーターへと向かう人混みの中、ノアはアサメに何かを耳打ちする。  そしてミュラの背後から肩に触れ、不思議そうな顔をして振り返る彼女をグイッと後ろに引き寄せる。  一気にガランとなった会議室内に、ノア、アサメ、ミュラ、そして部屋を片付けるノクス達湖畔のメンバーが残った。 「……何ですか? ノアさん。何か……。」 「頼みたいことがあってな。大きな声じゃ言えないことなんだが。」  渋い顔をするノアと、怪訝そうな顔をするアサメの2人の顔を順番に見て、戸惑うミュラ。  一旦頭を掻き上げた後、ノアは小さな声でミュラに告げる。 「……今まで行動を共にした奴らの中に……裏切り者が紛れてるかもしれない。」 「う……裏切り者?」  それを聞き、ミュラは思い出す。昨晩の、イグルスの言葉――  ――もっと冷静に行動しろ。そして現実を見つめろ。  ……貴様等の捕虜が消えているんだろう? 誰かが逃がした線が強い。  つまり、身内に裏切り者がいるかもしれないということだ。――  確かに、あの時……私は近衛兵の攻撃を受け、気絶して……目が覚めた時には、キロンはいなくなっていた。  他の仲間が言うには、いつの間にか縄が解けていたみたいだ、と。  イグルスの言う通り……誰かが逃がした可能性も十分に考えられた。  でも、それは信じたくなかった。だから、今まで考えないようにしていた。  そのことを、ノアが意を決して口に出したということは―― 「俺だって、仲間のことを疑いたくない。でも、万が一、誰かが裏切り者だとして……  そのせいでこの基地が危険に晒されたら、俺達の責任だ。俺達を受け入れてくれた皆に、申し訳がない。」  そのノアの言葉を耳にし、片付けをしていた湖畔のメンバーは立ち止まってノアを見た。 「……で、私達のことを慮って仲間を疑う決断をすると。ノアと言ったか、中々冷徹な男だね。」  アサメが茶化すように言う。  そんなアサメに対し、真剣な目つきを向けるノア。 「俺にとっては……! あいつらだけじゃなくて、あんたたちも仲間だ。同じ脅威に立ち向かう同士なんだ。  レジスタンスの蒼い旗を掲げている限り……俺は誰も見捨てやしない。」  その言葉に、アサメを始め湖畔のメンバー達も真剣な態度になったように見えた。 「あんたと、スレイン、エガル、ノクス、リスナ……あんたたち5人は、最初からこの基地にいた。  よって、捕虜を逃がした裏切り者ではありえない。あんたたちが頼りなんだ。」 「フ……、まぁ、やるからには、本気でやってくれ。私も本気でやる。この鉄壁の湖底基地、内部からやられたらひとたまりもないのだから。」  アサメはノアを試すように言う。言葉は素直でなくとも、協力するつもりはあるらしい。 「あ、あの、ノアさん……? 私は?」  ミュラが困惑しながら、けれども真摯に、ノアの力になろうと進み出る。  ノアは優しく、ミュラに頼みを伝えた。 「ミュラ。……お前は、リスナと協力して女性陣を警戒して欲しい。男のほうは俺達でやるが、女に対しては限界があるからな……。  何か違和感があったら、すぐに知らせて欲しい。」  ミュラの後ろで掃除をしていたリスナは了解した、と軽く敬礼をする。  ミュラもそれを了承したが、まだ困惑は消えないらしく、言い辛そうに口にした。 「なんで……私を? 他に頼める人はいるはずですよ……。」  ミュラの困惑は、何故自分がノアに指名されたのかということ。  ノアにしてみれば、ミュラだって裏切り者の可能性が捨てきれないはずなのだから。 「お前は、あの夜……俺が落ちた後、気絶したままでいたところをイグルスに助けられたと聞いた。  キロンが逃げたのは、お前が目を覚ます前だったんだろう?」 「は、はい……でも。」 「状況から考えて、女性陣の中でお前が一番シロに近い。だから頼んだ。……申し訳ないな、面倒事を。」 「でも……私が嘘を吐いてるとは考えなかったんですか? イグルスさんだって、騙してるのかもしれない。  ……何が、信用できるんですか?」  ミュラが、弱気な言葉を零す。  彼女は恐れているのだ。……人を疑い、疑われることを。  ノアの優しげな声はそこで一旦途切れる。  そして、ミュラの両肩を力強く支えると、彼女の目を真っ直ぐ見据えて言った。――というより、言葉をぶつけた。 「お前が裏切り者なら……俺は死んでもいい。  あの夜、俺は守れなかった……“また”守れなかったんだ!  俺はお前に何ができる? 何をしてやれる? ……信じることしか無いじゃないか。  お前は俺を信じなくていい。だけど、せめて俺に……お前を信じさせてくれないか。」  ノアの声は真っ直ぐ、ミュラの何かに突き刺さる。 「……はい……!」  ――ようやく分かった気がする。気弱な私の心は、一体何を求めていたのかを。  かつて居た兄のような――自分を信じてくれる力強い言葉が欲しかったんだ。  アサメは呆れたように笑いながら、時計を見る。  ――全く、感情論も甚だしい。嫌いではないがな。  アサメにとっては勿論、ノアもミュラも監視の対象内なのだ。    彼は今夜0時の審判のことを優先して考える。  万が一見張り小屋を破壊されたら、という心配――杞憂で終わればいいのだが。  いざというときの準備をしておくに、越したことは無いか。 ―――  4月22日 16:55 ――― 「あれ、晩御飯は?」  無垢な顔で、与えられた砂糖菓子を頬張りながら尋ねてくる斬燕。  子供らしく、空腹な様子を隠そうともしなかった。 「今ノクスが作ってるから、できたら運んでくるぞ。それまで我慢だ。」  スレインが、子供の目線に合わせて屈む。 「お肉は食べられる?」 「保存用のパサパサしたやつだけど、量と種類はそれなりにあるから期待してろ。  ノクスにかかればどんなものも美味くなるんだぜ。」 「分かった、待ってる。」  とてとてと個室に向かって走る斬燕。 「おい。今晩から個室だけど、一人で寝れるか?」 「だいじょーぶ!」 「そうか。まあ、寂しくなったら他のヤツの部屋にでも行けよ。」 「うん。おやすみー。」  個室のドアが開き、斬燕がその中に飛び込み、閉まる。  廊下に静寂が訪れた。 「……あいつも疑うのか? ノア。」 「いや、斬燕もシロだ。そもそも湖畔エリアに入ってから出会ったからな。」 「そうかい、良かった。まあ、お子様には余計な仕事に手を突っ込ませない方がいいな……。」 「そうだ。これは俺達の仕事。」  ノアを始め、スレインやエガル、湖畔のメンバーもやる気に満ちている。  目の前に広がる個室群。その中で夜を過ごす仲間達。  この中に潜む、神に身を捧げた狼を探し出し、捕らえるのだ。 「絶対に目的を気取られてはいけない。ゴッディアと繋がるような証拠を見つけたら即捕縛。……いいな。」 「……忙しい夜になりそーだ。」  そして、湖底基地内での、静かな戦いが始まった……。  第33話へ続く