Another World @作業用BGM紹介: 第34話.『湖底の疑心暗鬼』  4月22日 18:00 ―――  スレインがギニーの部屋を訪ねると、そこには当人の他に2人の男がいた。 「やあ、どうも。」 「……。」  テーブルの上に乱雑に置かれた飲み物を啜りながら、ギニー、ホーエー、ピーターが談笑をしていた。  その温かな空気に割って入ってしまう多少の申し訳なさを感じつつも、スレインは中に上がりこむ。 「スレインさん、だっけか。色々とありがとう。」 「ああ。何か分からないこととかあったら何でも聞いてくれ。」 「うん、追々ね。」  人当たり良さげに接してくるホーエーの後ろで、ピーターとギニーが静かに飲み合っていた。  手にしているのは缶のジュース。保存の利くレモン水。  この湖底基地に備蓄してある大量の保存食料のほんの一部だ。 「……やっと、ここまで……来れたね。」 「……ああ。」 「生きてる……ぼくたち、生きて、ここまで来れたんだ……。」 「ああ……そうだな……。」  部屋でも盾を背負ったままでいるピーターは、手元の缶を震わせながら感動しているようだった。  対するギニーは、前傾姿勢で俯いたまま言葉少ない。飲み物もちびちびと口につける程度だ。 「大変だったね……高地とか、中枢とか、沼地とか……もう駄目かと思った。」  そこにホーエーも会話に加わる。スレインも空いたソファーに着席し、テーブルを取り囲んで4人の座談が始まった。 「……こ、ここにいれば、大丈夫だよね……もう、死ぬ思いはしなくても……。」 「…………。」 「この湖底基地は難攻不落。裏口さえ見つけられなければ、安全だと思っていい。  ……まあ、皆には仕事を割り振って、交代で見張りをしてもらうけどな。」  スレインは自信満々に語る。基地の守りには定評があるようだ。 「……もう、……もう、誰も、死ななくて、済むのかな。」  ピーターの震えた声は、この旅路で味わった悲しみを、余すことなく表現していた。 「人は、死んだらどうなるんだろうな。」  少しの沈黙の後、虚空に向けてスレインが呟く。  問い……というか疑問。誰もが一度は考える、素朴な疑問。  “死”。  それを味わった後、人はどうなるのか。生者には決して確かめることができない。  死と隣り合わせになった昨日も、その答えには指先すら届かなかった。  生と死を挟む壁一枚。その境界の前と、乗り越えた先の世界は、景色が全く違うのだろう。 「ち、小さい頃は……死んだら天国に昇って、神様のところへ行くって聞かされたよ。」 「神様、ね……。今のこの世界で、その説はどうしても信じられないな。」  苦笑混じりにホーエーが否定する。  今この大地には、神の使いを名乗る者達が蔓延っている。  その者達の蛮行を見ているせいで、天国やら神やらの存在を鼻で笑ってしまう。 「誰かさんは、死んだら魂になるって言ってたな。」 「魂……?」  ピーターが話に興味を持ったのを感じたスレインは続ける。 「魂。……意識が無い、実体も無い精神だけの存在。それが身体から抜け出して、当ても無く漂い続けるんだ。」 「幽霊になる、とか?」  ホーエーが口を挟む。そういう説もある、とスレインは認め、話を続ける。 「身体から抜け出た魂は、無意識に、何かに導かれて……ある一箇所に集まる。  そこで見届けるんだとさ。この世界の行く末を、何十年も、何百年も。」 「……なんだ、それ。ある一箇所って、何処だ?」 「さあ……御伽噺みたく誰かさんに聞いた話だしな。根拠とかは無いよ。  ……そうだな、敢えて挙げるなら、山……山岳エリアの頂上、ってか?」  スレインは冗談を言うように笑う。  確かにこの季節、山の頂上は雲がかかっていて、外から見上げると神秘的な雰囲気を感じさせる。  あそこに死者の魂が集っているのだと言われれば、つい納得してしまいそうになるだろう。  こんなスピリチュアルな話をしたところで、結局のところ答えには近付けない。  それは誰しも分かっていた。しかし、僅かながら、新たな発見もあった。 「……ぼ、ぼくは、そう信じたいです。……死んだ人がまだこの世界を見守ってくれるなら、  ……絶対、負けられない、です。」 「うん。……そうだね。」  一足先に“死”の答えを知った、仲間達。  彼らは今、この世界を見守ってくれているのだろうか。  “死”を知らない者には分からない。しかし、信じることはできる。  話がぽつりぽつりと続いたところで、もそりと立ち上がった男がいた。  ギニーだ。 「どうした?」 「……ちょっと出てくる。部屋は好きに使っててくれよ。」  ギニーはそれだけ言うと、上着を着こんで部屋を出て行った。 「……なんだ、あいつは。」 「ギニー、ここに来てからずっと黙り込んで、あんな調子で……せっかく安全なところに来たってのに。  体調が悪いのかな。」 「エガルが身体の不調を見逃すはずがないしな……。こいつは……。」  スレインは更に、ギニーについて何か不審な事は無かったかと訪ねる。  するとホーエーから次の一言が飛び出した。 「んー、ここに来てからずっと、時間ばっかり気にしてたみたいだけど。なんなんだろうね。」  スレインはそれを聞き、不審に思う。  そして席を立ち、ギニーの後を追おうと扉を開ける。  そこですぐに誰かとぶつかり、スレインは腰を抜かす。 「おっ!?」 「……っと、スレインか。」  その男はノアだった。ノアもスレインと同じく、出会い頭で衝突したことで驚いていた。 「様子を見に来たんだが……どうだ? そっちは。」 「ああ、今……いや、ノアも来てくれ。警戒したい奴がいた。」 「ん……?」  スレインは僅かに不審を感じ取ったのだ。  彼はノアを連れ、挙動不審な男――ギニーを追う。 ―――  4月22日 18:16 ―――  2人の男が追跡を始めた頃、同じ階の少し離れた廊下で、ミュラはベイトとすれ違った。 「あ、ベイトさん。」 「ミュラちゃんじゃねぇか。どうした?」  ミュラは彼に軽く挨拶をし、そこから去ろうとする。  しかしベイトに背を向けた直後、彼から誘いの声が聞こえてきた。 「さっきさ、部屋に夕食が運ばれたんだ。良かったら一緒に食うかい?」 「え……ベイトさんと、2人でですか?」 「おう。」  ミュラは照れたフリをし、微笑みながら彼の提案に手を振る。 「良ければ花蓮ちゃんを誘いたいんですが、いいですか?」  いつもならベイトはそれでOKしてくれる。  それを見越してミュラは花蓮の名を出したのだ。 「悪ぃが、今夜は2人っきりで食いてぇ。いろいろと話したいこともあるしな。」  え?  ミュラはそういう表情を浮かべた。まさか……本気で?  荒野エリアの時から、この人は女の子を誘い、ちょっかいを出してくる時があった。  だがそれも冗談混じりのものだったし、いつも世話になっている恩もあり笑って相手をしていた。  ――究極、ナシかアリかで言えば、アリ寄りではあるし。  だが今、目の前の男の目は笑っていなかった。  本気で2人っきりの食事を求めている……? 「あ、えっと、その、あの……。」  ミュラはまるで花蓮のような挙動になる。  このような積極的なアプローチをかわすのも失礼だと思うが、今は他にやるべきこともあり、慌てる。  そんな彼女を見て、ベイトは――真面目な顔で言う。 「内部にいる不安要素は早々に取り除くべきだ。そうだろ?」  ミュラは一瞬で理性を取り戻した。  ――まさか、ベイトさんは気付いている? 裏切り者の存在に! 「え、っと、……ご、ご一緒します。」 ―――  4月22日 18:39 ―――  リスナはリリトットの部屋に入り、そこに別の人物がいることに気付く。  ソファーに座り果物を頬張るリリトットの真横に、やけに薄着の男、漸がいた。 「今、各部屋にお水を配ってたんですが……」 「そうか、ご苦労。あ、オレの分は気にしなくていいからな。」 「ええ。……いつも一緒なんですね、お二人は。」  リスナは漸とリリトットを交互に見る。  ……片や褐色の青年、片や年齢が二桁になるかどうかも怪しく見える幼い少女。  青年が二十歳前後だったとしても、この関係には犯罪的なものを感じざるを得ない。  リスナが深読みをしているうち、果物を嚥下したリリトットは元気一杯に答えた。 「漸はねー、リリにとっての“とくべつ”なの!」  その言葉は絶妙で、リスナの疑いはますます濃くなる。  深入りするのは危険かとも思ったが、変な誤解をしては失礼だと判断し、結局聞くことにした。 「どうして特別なのかな? 漸さんとリリちゃんは、どういう関係?」 「んーとね……リリはね、平原エリアに住んでたの。」  リリトットは記憶を辿るような素振りをしながら、出会いを語る。 「あの日……村に、たくさんの化け物がやってきた日にね、リリの家族殺されて……  もう駄目って思った時、漸が助けてくれたの。凄かったんだから!」  リリトットは誇らしげに言う。影の神兵に襲われたトラウマはあるのだろうが、それを感じさせないほどに彼女の目は輝いている。  漸は少し照れつつも、表情を変えずにリリトットの話を繋げた。 「ヤボ用で村に立ち寄っててね。その時急に襲われたもんだから、必死で……  敵を片付けたはいいが、大怪我して倒れてしまったんだ。情けないことでね。  ……だけどその時、リリが手当てしてくれたんだよ。必死に、泣きながら、精一杯。  そのおかげでオレは今も生きてる。リリのおかげでオレは生きてるんだ。」  漸はその時の怪我を思い出すように、自らの胸を撫でる。  タンクトップで隠れているからなのだろうが、その上からは傷という傷は特に見当たらない。 「へえ、リリちゃんが。」 「リリ、手当てとか、何したらいいか分からなかったんだけど……良かったよー、漸が助かって。」 「それからだな。オレはリリを守ることにした。いや、オレしかリリを守れないと思った。  ……平原エリアでの難民生活が始まって、そのうちギニーやホーエーと会って……いろいろ大変だったな。」 「うん。ここまで来れて、本当に嬉しいの。」  漸とリリトットはしみじみと安心感に浸る。  いつでも敵に襲われるという不安。ここに来たことにより、それから解き放たれて。  漸はリリトットに救われ、リリトットは漸に守られてここまで来た。  “特別な関係”……か。  リスナが2人を眺めていると、ノックの音が聞こえた。 「はい。」 「リスナ。ここにいたか。」 「エガルさん。」  ノックの主は基地の治療士・エガルだった。  リスナはドアを開き、何用かと彼に尋ねる。 「ティアさんが、喉が渇いたらしくてな。水差しをひとつ、貰いに来た。」 「あれ、それだったらノクスに聞いた方が。」 「ノクスにも言ったが、厨房に常備している水や素材は切らしたようでな。……一度にたくさん、住人が増えたせいだ。  ひとまず、おまえの持っている水差しを届けようと思う。」 「あ……ここに届けた水差しで丁度なんです。ひとまず、保管庫に取りに行かないと。」 「む。……そうか……。」  エガルが渋い顔をすると、リスナは微笑む。 「私が行って来ますよ。エガルさん、保管庫のモノの配置覚えるの苦手ですもんね。」 「ああ……頼む。」 「はい。ティアさんの部屋に水差し、ひとつでいいですか?」 「できればレモン、そしてハチミツも添えてやってくれ。あの人はお疲れだからな。」  リスナは返事をし、部屋を出ようとした時、背にリリトットの声がかかった。 「リスナ、どうしたの? お仕事?」 「うん。保管庫から飲料水を運ぶのよ。」 「へー。ねえ、リリも手伝っていい?」  突然のリリトットの手伝いの申し出。  リスナは迷ったが、湖底基地を案内するいい機会だと思い、連れて行かせることにした。  リリトットのようなか弱い女の子には戦闘をさせられない。だから必然的に、基地内の雑用を任せることになるだろうから。  仕事を覚える事は、早いに越したことは無いだろう。そう思った。  ――まさか、こんなちっちゃい子が裏切り者だなんてことは無いだろうし。  リスナは頷き、リリトットはぴょこぴょこ跳ねて喜ぶ。  二人は湖底基地の最下層、物資保管庫へ向かった。 ―――  4月22日 18:46 ―――  部屋に設置された、無駄な装飾など一切無い無機質な時計が時を刻む。  テーブルを囲む男女の間に走る緊張感。  男の想いが疑心暗鬼の感情となり――プレッシャーとなって少女に降りかかる。 「漸。……そして、リリトット。俺は、この2人こそが、ゴッディアに通じた裏切り者だと推理している。」  男・ベイトは腕組みをして、少女・ミュラに重々しく告げた。  密閉された部屋で、小声で展開されるこの会話。  ベイトとミュラ以外には決して伝わらないよう、ドアも堅く閉じられている。 「俺はなぁ、後悔してるんだ。悔やんでも悔やみ切れねぇ。……Warsのことさ。  アイツは……結局戻ってこなかった。銀縁メガネの姉ちゃんに任せたが、音沙汰はねぇ。  ……アイツは今も、どっかで愚痴りながら、俺達を探してんのかな……。」  そこでベイトは言葉を切る。ミュラは顔を落とし、自らの膝元を見た。  バンッ!  ミュラはその音に驚き、テーブルを見る。そこにはベイトが拳骨を打ち付けていた。  ベイトの表情は険しく、怒りに満ちていて――とても、哀しげだった。 「分かってんだ! ……今のこの世界で、“戻ってこない”ことは何を意味するか!  実は生きてて、そのうちまた再会できる……そう考えるのは、甘えでしかねえんだ。」  ベイトは全身をぶるぶる震わせる。 「分かってんだよ……アイツなら。Warsなら、あの時。……中枢で、敵わねぇ敵に出会ったなら、  難しいことは考えねぇで一目散に逃げてくる。……それがWarsって奴だ。」 「……ベイトさん。」 「あの時……俺は、中枢から飛ばされた奴の順番を全部覚えてる。俺達の次に花蓮ちゃん。  その次に漸。続いてノア、リリトットだ。……Warsとゴジャーはそのまま行方不明。」  ベイトは昨夜の悪夢を思い出し、そして――疑いに繋げたようだ。 「あの時、何があったんだろうな。あの後、リリトットから聞いた話によれば……  Warsが、近衛兵に立ち向かう為の策を練って、ゴジャーとリリトットがその通りに動いて中枢キーを奪ったらしい。  で、その結果、ノアとリリトットが助かった……と。」 「ええ。私もそう聞いています。」 「あのWarsが、だ。あのWarsが自ら進んで作戦を考えるなんざ……悪ぃが俺には想像できねえんだ。」 「……。」  ミュラにはその時の状況が分からないから想像するしかない。  ……確かに、荒野エリアの頃から……Warsは、自分から表に立って動くことがあまりない人だった。  しかし、状況が切迫していればまた違うかもしれない。そうミュラは思う。  土壇場では、今まで発揮していなかった力が開花することがある。  だからWarsが指揮を取って戦っていた……という話も、あながち疑えないのだ。  ――だが、ミュラにはベイトの固定観念を否定するだけの説得力は無い。 「Warsが指揮を取って敵に立ち向かった、っつー話が信じられないのが、疑う理由の発端だ。」 「……。」 「考えれば考えるほど、疑えちまうんだよ。……意識不明のノアが助かった理由もな。  敵にとってみりゃ、気絶してやがるノアは格好の標的。ノアが助かって、Warsがやられる理由は何処にもねぇ。  中枢キーを奪ってノアとリリトットだけ助けた? そんな話が都合よく思えてくるぜ。  『じゃあどうしてWarsかゴジャーが帰ってこない?』とリリトットに聞いたこともある。  あの子はただ、『わかんない』と答えるばっかりだ。……余計に疑える。」  エリアキーの効果は、所持者以外をエリア外に強制転送することができる。  つまり、エリアキーを持つ者は自分自身を転送できない。  その理屈に乗っ取ると、Warsかゴジャー、どちらか一方のみは確実に助からないということになる。  ――にも係わらず、“両方”帰ってこないという実情。 「あの時、近衛兵はエリアキーを使って、いかにもランダムに俺達を飛ばしたように見えた。  ……だが、違っていたんだ。誰が“生贄”になるか……決められていたとしたら。」  ベイトは、盲目的に……友人の消失によって、疑心を強める。 「あの場に、裏切り者がいたんだ。そしてそいつは近衛兵野郎と通じ、Warsとゴジャーを……始末した。」 「ベイトさん。……。」  ミュラは、瞳を怒りに燃やす彼の考えを聞く。 「……教えてください。あなたがどうして、その考えに至ったのか。」 「ああ。そのつもりで君を呼んだんだからな。……俺は考えるのは苦手だ。  だからどうしても、レジスタンスの人間が――蒼い旗に想いを誓った奴ら同士が、仲間を裏切ったとは思えねぇ。  敵がいるなら、外から来た人間だろう。例えば、俺たちが荒野で受け入れた難民。」  ミュラもよく覚えている。  数日前から行動を供にした、漸、リリトット、ホーエー、ギニー。自らを難民と名乗った4人。 「あいつらなら、いくらでも疑えるぜ。……そもそもおかしかったんだ。  あいつらがやってきた晩、何があった?“トリードの審判”とやらが、俺達の拠点を潰した!  何故あの晩に? ……答えは出てたんだ、あの難民の中にスパイが混じってて、近衛兵の審判を誘導したんだよ!」 「それは、偶然かもしれませんが……。」 「そう思って今まで片付けてたさ。だが、疑える要素はあちこちにあったんだ。  そいつを繋げりゃ……誰が怪しいかは明白だ。」  ベイトの舌の回転は止まらない。感情と共に、言葉を吐き出している。 「あの難民4人の中で、漸。あいつだけが、十分な武装をしていた。物資も限られる中でお誂え向きに二丁拳銃。  腕前も十分見ただろ? あの男は、難民にしては不自然な強さなんだよ。」 「そんな、それは理由にはなりませんよ……ベイトさん。」 「そして、その男に不自然なくらい密着する女の子。……リリトットも、漸と繋がっている可能性が高い。  脅されてんのか、騙されてんのか……理由は分からねぇが、何か裏でやらされてるに違いねぇ。  じゃなきゃ、あんなに歳が違う二人が異常なぐらい近付くことはねぇだろ?」  ベイトの疑いは、ほとんど言いがかりと言える様なものだった。  しかし、断片的には――確かに、あの二人には、不自然な点があるのも事実。 「すまねえな……俺は考えるのが苦手でよ。ハッ、どうかしちまってんだ、昨日から。  ……誰が、Warsを罠に掛けやがったのか。……その敵を、どうしても炙り出したくてよ……。」  ミュラは、怒りに震えるベイトの拳にそっと手を添える。 「落ち着いて、ベイトさん。……私も一緒に考えます。“敵”はきっと近くにいる。それは間違いないんです。  冷静に行動すれば、きっと辿り着けますよ。……冷静に。その為に、私を呼んだんでしょ?」 「……ああ。ああ、悪いな……。」  ミュラとベイトは、限りある情報で再検討を始めた。  この湖底基地で、誰かに疑いを向ける……それは限りなく、精神にとって健康なものではない。  時には感情が暴走し、論理が飛躍してしまうこともある。  ――だがしかし、飛躍した論理が、道を作ることもある。  漸とリリトット。そして難民。……彼らの事を、詳しく調べた方がいいかもしれない。 ―――  4月22日 18:55 ―――  リスナにリリトットが追従し、部屋には男が2人だけになった。  相変わらずソファーにどっかり腰を落としている漸、それを入り口から見るエガル。 「……まだ、ここにおられるのですか。」 「何か問題か?」  いっそふてぶてしいまでに、漸はリリトットに割り当てられた部屋に居座り、銃をカチャカチャといじっている。 「リリの留守中はオレが守るってことで、いいだろ。あんたこそ出てったほうがいいぜ。レディの部屋だ。」 「……。」  そのレディの部屋に居座り続けるお前はなんなんだ、と言いたくなる気持ちをエガルは抑える。  そして退室しようとすると、漸は独り言のように言葉を漏らした。 「アイツは……家族を亡くして寂しい思いをしてるけどな。  今は、独りぼっちなんかじゃない。オレが、死ぬまで側にいてやるんだ。」  エガルは振り返らず、漸に忠告する。 「騎士になるというのは、大変難しいことです。……貴方の感情が、負の面に堕ちないよう祈りますよ。  決して、一人の女性に囚われることの無いように。」 「……余計なお世話だよ、治療士さん。アンタこそ覚えておいた方がいい。  リリに変な真似をしたら……二度とメスを握れなくしてやる。」 「そうですか。まあ、私は人を傷つけるのが仕事では御座いません。……治す、のが本分。  貴方のお嬢さんに何かあれば、いつでもお呼びつけ下さい。」  エガルは退室する。  ドアが閉まるその瞬間まで、彼は漸の発する妙な気を感じていた。  ――異常な、殺気。  1人の女の子に囚われて周りが見えなくなるタイプの男か。  エガルは懸念した。……まあ、万が一のことが無い限り大丈夫だろう。  到着時にリリトットの全身を検査したが、何処にも負傷は見当たらなかった。  騎士気取りの男がここまで守り通したのだろう。  ……後はここに居れば、案ずる事は無い。湖底基地の守りは万全だ。 ―――  4月22日 18:55 ―――  リリトットは水差しを両手で抱えるようにして運ぶ。  その様子を、隣でタンクを載せた台車を押しながらリスナが見守っていた。  リスナが全部台車に乗せようと言ったのだが、リリトットは聞かずに自分から水差しを持ち出したのだ。  厨房に立ち寄りタンクを下ろし、エレベーターを乗り降りし、ティアの部屋がある階層まで到着した。 「重くない? リリちゃん。」 「へーき。へーき……。」  水がたっぷり入った器を、強がりながら抱えるリリトット。  大して重くは無さそうだが、足元が死角になるせいで足取りが少々不安ではある。 「もうすぐだからね、気をつけて。」  リスナは注意を促しながらリリトットを励ます。  信頼して任せたのはいいが、よろめいて貴重な水を床に撒かれたりしてはたまらない。  リリトットは水差しをこぼさないように揺らしながら、無邪気に問いかける。 「ねえ、リリって、役に立てる?」 「え? なあに、急に。」 「リリ、みんなの役に立てるかなあって。」 「もちろんよ。これから忙しくなるけど、お仕事、任せるね。」  やったあ、とリリトットは見た目の歳相応に感情を表に出して喜んだ。 ―――  4月22日 18:59 ――― 「どうだ? あいつの様子は?」 「……さっきから、ずっと動かない。頭を抱えたままだ。」  通路の曲がり角で、ノアとスレインが見張りを続けている。  目立たないように身体を壁の影に隠し、息を殺してギニーの動向を見守る。  ギニー本人は2人の追跡者に気付いていないのか、通路の半ばで頭を抱えるようにして蹲っている。 「体調が悪いのか? 一向に誰かと連絡を取る様子は無いが……。」 「油断はできない。けど、もう少し待とう。あいつが何をしたいのか正確に見極めたい。」  ギニーは何度も何度も頭を揺すり、一歩も動かない。  それに油断し、ノアとスレインは彼から目を離し言葉を交わす、  たった10秒にも満たない隙だった。その間に、ギニーはその場から忽然と姿を消していた。 「! しまった!」  ノアとスレインは追う。  逃げられたとはいっても、この近くには目的地となるものはひとつしかない。  湖底基地を上下に移動するエレベーターだ。  スレインが一足早く角を曲がり、エレベーター前の踊り場に辿り着く。  そこにギニーの姿は無い。既にエレベーターに乗り込んだようだ。  スレインは舌打ちをする。ノアも遅れを取ったことに気付く。  エレベーターは2台あり、本来ならどちらに乗り、昇ったか降ったかがすぐ分かるはずだった。  しかし眼前のエレベーターは片方が昇り、もう片方が降りのランプを点灯させていた。  偶然か罠か、これではどちらにギニーが乗ったかは分からない。  スレインは両方のボタンを押し、2台のエレベーターを呼び戻す。 「二手に分かれるのか?」 「いや、二人で下に行く。」 「いいのか? もし上に逃げられたら……」 「上に行ったところでそこは見張り小屋だ。そこならエレベーターを制圧してりゃ戻ってこれねぇ。  だが下には無数の裏口と、物資保管庫がある。裏口を破られちゃアウトだし、物資に変な細工をされるのも厄介だ。」  スレインが早口で説明している内に、エレベーター到着のベルが鳴り、右のドアが開く。  2人はそれに飛び乗り、下層へと向かった。 ―――  ギニーは早足で基地内の通路を走り回りながら、何度も自問自答を繰り返していた。  ……どうする、俺。本当にやるのか、俺。  分かってんだろうな、俺。自分がこれからやろうとしていることが。  恩を仇で返すんだぞ。酷ぇよ。人間じゃねぇよ。  思い止まれ、ギニー。今ならまだやり直せる。  何もかもアイツらにぶちまけて楽になるんだ。正直に謝りゃ許してくれるさ。  アイツらは、イイヤツなんだから……!  ……でも、でもでもっ、本当に大丈夫か?  そんなことしたら、俺はっ……あの女に嘘をつくことになって……  ッゲホゲホッ、うえっ、や、嫌だっ、そしたら……死ぬ……。  喉が潰れて、死んじまうっ!  ……やだ、俺は死にたくねぇ……命がありゃそれだけでいいじゃねぇか。  何を迷ってんだ……くそっ、考える時間もねぇ。20時まであと少し……!  ああっ、すまねえ、すまねぇな、レジスタンスの皆……裏切る俺を、許してくれ。  でもよ、あんたたちだって悪いんだぞ。  あの時、俺をしっかり守ってくれなかったからこんなことになるんだ……!  そうだ、仕方ねぇ。仕方ねぇのさ。  だから当然さ、俺は……俺は……! ―――  4月22日 19:04 ―――  中枢の塔の一室。  窓をカーテンで閉め切った広めのその部屋に、2人の人影と、多数の黒き塊が集っていた。  その中の1人は、相変わらず気品溢れる紫色のドレスに身を包んだ女性、近衛兵クインシア。  彼女に向かい合うのは、大斧を背負った姿勢の正しい青年。  甲殻類を模したような鎧を肩や手首などの節々に装着し、鈍く赤い髪は数本に束ねられ、蟹の足のような鋭さを見せる。  そんな異様な雰囲気にも増して、青年は全身に強者の気迫を纏っていた。  静かで落ち着いた、されど自信に満ちた声色で、青年はクインシアと会話をする。 「……それで?」 「Biaxe様のヘリが陽動を致します。その間に、貴方は協力者と共に隠された通路へ侵入を。」 「……問題ないんだな、その協力者とやらは。」 「ええ。我が軍に快く協力して下さる、頼もしい殿方ですわよ。」 「そうか。」  青年は淡白に、作戦の必要事項をクインシアから聞く。  言われたことに対し質問は何度もするが、命令を嫌がる素振りは一切見せない。 「確認する。以上の全てが、神が俺に与える指令だな。」 「その通りですわ。偉大なる神は、貴方の隊に最も高い期待をしていらしゃいますの。」 「そうか。」  青年は装備を確認し、指の骨をポキポキと鳴らす。 「それが今夜の“運命”か。」  そして、一瞬だけ――青年は邪悪な表情を浮かべる。  その瞬間、彼を取り囲んでいた黒い塊の集団が、蠢き、唸りながら形を変えてゆく。  ある者は、強大な牙を持った虎に。  ある者は、鋭い嘴を持った鷲に。  ある者は、人間ほどの大きさの蟷螂に。  影の神兵が、その形を次々と成してゆく。  その、化け物の一個小隊を背に、彼らを束ねる青年が堂々と立つ。  彼こそが、この世界に牙を剥く――新たな刺客。 「任務の達成を祈りますわ。ドヴォール隊隊長、オル・ドヴォール様。」  運命を歪める夜の、長い宴が始まる。  第35話へ続く