Another World @作業用BGM紹介:http://www.youtube.com/watch?v=gCmmfqA0m7w(ペルソナ4より、A New World Fool) 第35話.『侵入者』  4月22日 19:45 ―――  通路内に爆音が響き渡り、湖底が揺れた。  上層で食材管理の作業をしていたノクスはその音を聞きつけ、敵襲を悟る。  攻撃されたのは間違いなく湖上の見張り小屋。  周囲を監視し旋回しているだけのヘリ群が、とうとう攻撃を仕掛けてきたか。  ノクスは最小限の火器を手に取り、エレベーターへ飛び乗る。  無機質なスピードで上昇するエレベーターの室内で、ノクスは拳銃の弾を確認しながら考えを巡らす。  ――さっきの爆撃では、下層にいる人の耳には届かないだろう。だからまだ、基地内で襲撃に気付いた人は少ないはず。  だが、機械室に設置してある非常用ブザーは自動で起動する。戦いの衝撃が基地に伝われば、すぐにでも。  ブザーは全ての室内にけたたましい音を鳴らし、眠っている者も全員叩き起こす。  そしたらティアさんが指揮を取り、迎撃体勢に入る……はずだ。  仲間もいずれ集結する。それまでは、私が攻撃を食い止めなければならない。  使命感に燃えるノクスを、エレベーターのドアが開き小屋内へ開放する。  ノクスはそこに飛び出て、明かりを点けることなく慣れた手つきで隠し扉を抉じ開ける。  そこにあったのは銃火器、発射機、大砲、兵器の山。  大量の対ゴッディア兵器だが、ここに置かれているだけでも基地内の数割にしか過ぎない。  ノクスは慣れた手つきでそれを移動し、窓を開け、発射口を作る。  窓を開けた瞬間に、いつもの武装ヘリが見えた。  ノクスのいる位置からは豆粒のような大きさだが、視力の悪くないノクスはそれらがこちらに砲口を定めているのが見える。 「……来た!」  身構える前に、ヘリから1発だけ、ミサイル砲が飛んでくる。  ノクスはすかさず2両手に拳銃を構え、それを着弾する前に撃墜した。  これだけ距離が離れていれば迎撃は容易い。  ノクスは次の攻撃が飛んでくる前に、迎撃用の対空砲に弾を込め、着火しようとする。  その重火器の威力は、ヘリの攻撃など恐るるに足らないほど強力なもの。 「……?」  その時、ノクスは不審に思った。  着火口が、死んでいる。  水のような液体を浴びせられた痕跡がある他、着火が困難な程に物理的に破壊されている。  これは――明らかに人為的な工作だ。  ノクスはその場を離れ、他の対空砲や重火器も確認する。  武装ヘリからの爆撃で小屋が揺れるが、ここは1発や2発で木っ端微塵になるほどヤワではない。  この緊急時においては貴重な時間をかけ、ノクスは全ての火器を見て――そして絶望する。  この部屋に常備しておいた全ての火器が、使用不可能になっているのだ。  その時、背後から隠し扉が開く音が聞こえた。 「……! あ、アサメさんですか。」 「ノクス。……これは……。」  ノクスはすぐ、アサメに状況を説明する。説明しながらも、ノクスは違和感に気付く。  ――これだけ時間をかけて、応援がアサメさん一人だけ……?  またひとつ、爆音が轟いた。 「全部、やられているのか。やはりこれは……。」 「……“裏切り者”の仕業……?」  アサメは声は出さずとも、共感するように頷く。  その時もうひとつ、爆音。 「……あのヘリ……?」  アサメは窓の外を見た。そこにはこの小屋を囲むほどに大群を成した武装ヘリ。  だが彼は、それに隠された事実に気が付く。 「さっきから、何故……攻撃を打ち込んでくるのが1,2機なんだ? しかもあの距離で。  あれだけの数がいるならば、一斉攻撃をすれば、いくらこの小屋でもひとたまりもないはず。」  ノクスは手元の使える火器で応戦をしつつ、アサメの分析に耳を傾けた。  数秒後、アサメは唐突に叫ぶ。普段の彼らしくない、慌てた声だった。 「ノクス! 使える兵器を掻き集め、下に降りるぞ! ここは諦めろ!」 「え、いや、アサメさん!? 大丈夫です、すぐ応援が来ますし……」 「応援はおそらく来ない。……“内部”がやられている可能性が高い。  敵が来るのは、裏口からだ!」 ―――  ノアとスレインは下層に降り、2人で裏口へ通じる通路を虱潰しに探していた。  いくつもに枝分かれしている通路は、2人だけで捜索するのには十分に手に余る広さだ。  このうちの何処かにギニーがいる。絶対に外には出せない……。  時間を掛けに掛け、20時前。  ノアが、ある通路の裏口へと続く昇り梯子前に、しゃがみ込む男の姿を見つけた。  近付かなくても分かる。ギニーだ。  余計な警戒をされて、迂闊な行動に出られたら困る――出口は彼の後ろなのだから。  ノアは慎重に、平穏な顔持ちを装い、ギニーに近付く。  ギニーは観念したのか、何か企んでいるのか。ノアの気配に気付いても、頭を抱えてしゃがみ込んでいた。 「ギニー。」 「…………ひっ……。」  怯えた様子で、震える声を漏らすギニー。  ノアよりも明らかに年上のその男のその様子は、極端に情けなく見える。  ノアが近付こうとすると、ギニーは立ち上がり、同じだけの距離を後ずさる。  2人の距離は5,6m。明らかに警戒されている距離だった。  額の汗を拭いながら、ノアはもう数歩踏み込む。ギニーは後ずさる。  すると、ギニーの背に何か冷たいものが当たった。それは背後の壁。厳密に言えば、昇り梯子。  頭上には巨大な空間が延び、ここを昇ると裏口の蓋に繋がる、ということを肌で感じさせた。  なんにせよ、ギニーにはもう逃げ場が無い。背後の梯子を昇るくらいしか。  しかし彼は、脱力し、力無い目でノアを見つめる。観念したのだろうか。 「……悪かったよ。外には出ねえよ。……許してくれよ。」 「……ギニー。」  ノアはもう数歩、ギニーに近寄る。ギニーは逃げ出さない。  どうやら本当に観念したようだ。 「教えろ。お前は、ゴッディアと繋がっているのか。」  ギニーは喉を押さえる。ノアの鋭い眼光が、彼に直撃した。  ギニーは口をパクパク開き、悲鳴混じりの鼻声で喋りだす。 「……お、脅されてるだけなん……だ。う、裏切る気は……無かった、んだ。  ごめん……悪かったよ。悪かった……。」  ギニーの充血した瞳からは、涙が零れ出す。  大の男がみっともなく泣きながら、許しを請う。 「……俺は……死ぬのが怖かったから、ゲホッ、あの女の言うとおりに、しないと、ゲホゲホッ、く……。」  冷たい瞳でギニーを見つめるノアには知る由も無い。  ギニーは喉の痛みを思い出し、苦しみながら言葉を捻り出している。 「ゲホッ、ゲホゲホゲホ、ゴホッ、……ゴホ……。」  とうとう言葉よりも咳の方が強くなり、ノアはギニーに手を差し出す。 「分かった、後は中で聞く。戻るぞ……。」 「ゲホ……ッ、……はぁ……はァ……。」  パンッ!  ギニーは、ノアの差し出した手を取ろうとして――弾いた。  ノアは、一瞬だけ驚き、ギニーを見つめる。  ノアの手を弾いたギニーは、恐れと苦しみの混じった表情をノアに向けている。  ――それだけでなく、ノアの瞳には、ギニーの左腕が映る。  固く握り締められた拳。手首に巻き付けられた、古い腕時計。  それが刻む時刻は――。 ―――  4月22日 20:00 ―――  頭上から凄まじい音――唸り声が響いてくる。  それに、ギニーの絶叫が混じり、ノアの鼓膜を刺激した。 「ゲホゴホ、死にたくねえ、……俺は死にたくねえんだ……!!  お前が、お前らが、俺をしっかり守ってくれなかったのがいけねえんだ……  俺は……悪くねえよ……仕方がねえんだよおおおおおおぉおおぉぉおおお!!!」  ギニーは息継ぎし、大きな咳を一回した。  それと同時に、赤黒い血が彼の口から飛び出て、床を汚す。  ノアは本能でギニーの前から飛び退いた。  次の瞬間、頭上から、ギニーを囲むように黒い獣の集団が降り注いでくる!  10匹、20匹……その数はどんどん増え、通路から溢れんばかりにその質量を満たす。  それは、虎、鷲、蟷螂などの形を取る影の軍団。  そして通路に着地した化け物達は、ノアのいる方向に溢れ――一斉に突っ込んでくる。  ノアは、裏口の蓋を確かめることなく理解した。  なんのことはない。彼がギニーに追い着く前に、既にギニーは外に出て、ゴッディアの者と連絡を取っていたのだ。  ――湖底基地の防御は、破られた。  凄まじい質量を持つ化け物の勢いに対し、ノアはひき潰されないようにするので精一杯だった。  獣達の突進に抗えず、身体がぐんぐんと後退していってしまう。剣を構えることもままならない。  化け物達の狙いはノアではない。湖底基地の奥深くへと侵入し、破壊することだ。  これ以上は、1人では防ぎきれない!  ノアが覚悟を決めた時、通路の後ろから声が聞こえた。 「ノア。下がれぇっ!」  スレインの声だ。  ノアは辛くも体勢を立て直そうとしたが、虎の突進の勢いにどうしても遮られる。  だからノアは逆に、全身の力を抜いた。するとそこに飛び込んできた虎の一撃で、ノアはゴム鞠のようにポーンと飛ばされる。  荒業ではあったがノアは着地と同時に受身を取り、最低限の腕のダメージに抑えた。  ノアが化け物の軍団から弾き飛ばされるやいなや、スレインはいくつもの手榴弾を通路に投げる。  既にピンは抜かれていた。しかしその狙いは化け物達ではない。  ドドドドドォン!! ドドドドォン!!  通路の真ん中で、無数の手榴弾が弾け込んだ。  凄まじい爆風が通路の壁や天井を引き剥がし、コンクリートの内装を崩落させる。  これが決まれば、大きな質量を持った化け物の洪水も塞き止める事ができるはずだ。  狙い通り、化け物はコンクリートで塞がった通路を抜けることが出来ない。  わずかに見える隙間から、恐ろしい鳴き声が漏れ出してくる。  ここを防ぐことができなかったら……と考えると、ノアとスレインはぞっとした。  スレインはもう何発か手榴弾を取り出し、駄目押しをするようにコンクリートの瓦礫に投げ付けた。  ドォンと威勢のいい音が響き、再び天井が崩れ出す。  ――その時、崩落する瓦礫の向こう側から、何かがこちらへ向かって飛び込んできた。  化け物達の洪水を掻き分け、降り注ぐコンクリートの瓦礫をものともせず、大斧を振り翳して迫り来る。  瓦礫が通路を完全に塞ぐ頃には、その――人影は通路の“こちら側”に着地していた。 「…………。」  無言でノアとスレインを睨むその人影は、人間の男――に見えた。  甲殻類を模したような装備を身体の節々に身に付け、髪は枝分かれし逆立っている。  彼の右手には大斧。左手には、ギニーが抱えられていた。 「……ゲホッ、お前……無茶するな……いてて。」 「…………。」  文句を垂れるギニーに目もくれず、相変わらず無言でノア達と相対するその男。  その気迫に圧されながらも、ノアは愛用の剣を、スレインは手榴弾を手にする。 「……貸し与えられた兵は全滅か。まあいい。このまま指令を遂行する……。」  男が口を利き、そこから漏れ出す強者のオーラを2人は感じ取る。  本能的に、手に汗を掻き始めていた。 「悪く思うな。お前達の運命は、俺が終わらせる。」  落ち着いた低い声で、男は言い放つ。  そしてその男は、左腕にギニーを抱えたまま、ノアの懐に飛び込んできた。  やっとの思いで剣を持つ腕を動かしたノアは、男の振り翳す大斧を防ぐ。  ガキン、ガキンと武器が衝突する音が鳴る。刹那の剣戟。2人の勢いは互角だった。  しかし、じりじりと、ノアは後退し続ける。  無表情のままに斧を振り続ける侵入者を止めることができない。  スレインはノアの近くにいながら、2人の様子を見ながらステップを刻む。  彼の持つ武器は破壊力の高い手榴弾だ。下手なタイミングで使えば、侵入者だけでなくノアも犠牲になってしまう。  侵入者の男は慣れた身のこなしで、右手の大斧一本でノアと渡り合う。  左腕には、あひあひと悲鳴を上げながら抱えられているギニー。  片手が塞がっているにも関わらず、凄まじい斧術の冴えを見せていた。  ガキン、ギィン、ガッ!  大型の斧に比べれば、対するノアの剣は細身。  勢いのままに激突すれば、当然の如く剣が力負けをしてしまう。  ノアは刀身を叩かれ、膝を屈めてその衝撃を殺す。  それは最小限の防御の行為だったが、侵入者はそこに容赦はしない。  足元の薪を叩き割るかの如く、右腕を高く掲げ斧を振り上げた。  その瞬間、今にもノアの頭を叩き割らんとした斧が悲鳴を上げる。  いや、それは悲鳴ではない。何かが斧に命中し、金属音が大気を震わせた音だった。  斧は男の右手から逃げるように弾き飛び、男の背後の床に転がり落ちた。 「……。」  男は相変わらずの無表情で、ノアとスレインのいる方向を見る。  スレインも男の視線を追い振り返った。そこには、見慣れた湖底基地の同士が銃器を構えて立っていた。 「……今です! その男から離れて……。」  その男――ノクスは額に汗を掻き、肩で息をしていて、急いでここに駆けつけてきてくれたことが分かる。  男はすぐにライフル銃の薬莢を排出し、次の弾を篭め、狙いを定めた。  スレインはノアの腕を引っ張るようにしてノクスの背の後ろへ下がる。  侵入者は後ろ手で落ちた斧を拾い上げ、睨み付ける相手を変える。  自らの額に銃口を向ける相手、ノクスへと。 「気をつけろノクス。あいつ、強い……!」 「見れば分かります……早く、応援を!」  ノクスがスレインに応援の手配を促した瞬間、場の空気が切り裂かれた。  侵入者の男が回転し、派手な動きで斧を振り翳し、迫る!  ノクスの武器がいくら銃火器とはいえ、これでは狙いをつけることさえままならない。 「早くっ!」  ノクスは立て続けに2発、銃弾を放つ。  しかしそのいずれも、侵入者の踊るような動きにはかすりもしない。  ノクスは舌打ちし、ライフルを構えたまま大きく跳ぶ!  常人からすれば凄まじい高さのジャンプにより、ノクスは迫り来る侵入者の一撃をかわす。  勿論、このままでは位置的に、侵入者は勢いのままスレインとノアに襲い掛かってしまうだろう。  だからノクスは空中でライフルの銃口を――侵入者の頭頂に向けた。  狙撃の姿勢としてはかなり不十分だが、ノクスには確実に命中させる自信があった。  一発。人間であれば、一発だけ頭に撃ち込めば止まる。  そうすれば、結果的にスレインもノアも、湖底基地も守ることができる。  侵入者は今まさに、勢いに身を任せるようにしてスレインに斧を打ち込もうとしていた。  ノクスは床に着地する直前――右手の指で、引き金を引く!  ズドンッ!!  乾いた銃声が通路内に響き渡った。  確かに一発。銃声は放たれた。  ドサリ、と床に崩れ落ちる身体。  ガチャ、と床に落ちる武器の音。 「……ぐあっ!」  スレインの悲鳴。  彼の肩を、斧の刃の端が傷付けたのだった。  傷は浅いが、服に血が滲んでくる。 「大丈夫か!?」 「あ、ああ……かすっただけだ。」  ノアがスレインに声をかけ、彼を傷付けた侵入者を見やる。  侵入者はスレインから距離を取り、呼吸を取っていた。右手に持つ斧にはかすかに血が付着し、左腕に抱えるギニーはひいひい泣いていた。  その侵入者とは別の方向に、倒れ伏すノクスの姿があった。  ノクスの脇には、銃口から硝煙をもくもく噴き上げているライフル銃が。 「ノクス!?」  スレインはすぐに駆け寄り、倒れているノクスの肩を揺する。しかし何の反応も無い。  スレインは、彼の顔を覗き込み――そこで、全身の血が凍る衝撃を覚えた。  ノクスは、絶命していた。  その額に空いた銃創から、流れ出た血で顔を真っ赤に染めて――。 「なんでだ……なんでなんだ……?」  スレインはノクスの狙撃の瞬間を見た。  確かに空中での不安定な発射だったが、何も問題はなかった。増して、ノクス自身の額に銃弾が撃ち込まれる様な事など、起こりようが無い。  だから、スレインのやり切れようの無い怒りは、侵入者に向く……。 「お前、何をした!? ノクスに一体、何をしやがったっ!!」  侵入者は斧に付いたスレインの血を拭い、冷ややかに、そして落ち着いた声で答える。 「俺の運命を変えようとして、そいつ自身の運命が変わった……それだけだ。  何も、おかしなことはない。」  それだけ言うと、侵入者は右腕に力を篭めるような動作をする。  ただそれだけの動作で――怒りに震えるスレインと、剣を構えて体勢を整えたノアを制した。 「……くっ!?」 「なんだこれ、足が……?」  ノアとスレインは何が起こったかすら理解できない。  突然、両足が鉛のように重くなり、自由に動かせなくなったのだ。  侵入者は、相変わらず落ち着いたような口調で語り、2人に背を向ける……。 「これが答えだ。……その運命を打ち破ってみろ。さもなくば、俺を止めることはできない。」  そして、侵入者は堂々と足を踏み入れていく。湖底基地の、中へ。 「待て、やめろ……それ以上進むんじゃねぇ……!! 待ちやがれええええぇぇっ!!」 「どうしてだ……どうして……っ!!」  スレインとノアの声が、虚しく通路に響く。  重くなった足を少しずつ引き摺るも、離れていく侵入者の背には追い着けない。  突然現れた侵入者に、早くも犠牲となった1人。  平穏は、長くは続かず、容易く引き裂かれたのだった。 ―――  4月22日 20:13 ―――  湖底基地に侵入した侵入者……に抱えられるようにして運ばれるギニー。  窮屈な思いをしていたが、周りに敵がいないこともあり、話しかけてみることにした。 「お……おっほ、おっ、おっ、お……おまえ!」  しかし、口元はガタガタ震え、思ったように喋れない。  ギニーを抱える侵入者は彼の声に気付かず、歩き続ける。 「おぅ、おっおっ、おまえっだよ、おまえ!」 「……。」  というより、気付いていながら無視しているかのようだった。 「俺一人でっ、歩けるからっ、いいよ、下ろせっっ。」 「……。」  侵入者は立ち止まり、ようやくギニーを腕から下ろす。  そして自由になった左手の筋肉を伸び縮みさせ、感覚を取り戻そうとする。 「あ、わ、悪いな、俺……足手纏いみたいで……えっと……。」 「ドヴォール。オル・ドヴォールだ。」  ギニーが言いよどんでいると、侵入者は自分から名乗る。  ギニーはやり辛そうに、この無表情で不気味な男に、気になっていることを聞いた。 「……ドヴォール。置いていけば良かったじゃんかよ、俺なんて。俺、戦いの役には立たないぞ。」  実際のところ、ギニーはクインシアとの約束を果たした時点で、ゴッディアに保護されるものだと思っていた。  しかしあの状況では、手榴弾の爆発により影の兵が塞き止められ、その質量に巻き込まれて死ぬかもしれなかった。  そこを救ってくれたドヴォールに対しては、複雑な気持ちだった。 「近衛兵は言った。お前のことを、“我が軍に快く協力して下さる、頼もしい殿方”……とな。  指令は絶対だ。俺にはお前を守り通さなくてはならない契約がある。」 「……マジかよ。」  ギニーは、裏切られたと思っていた。ゴッディアの味方をしても、やはり危険に晒されるのかと。  しかし、この男が直に守ってくれるとは……しかもそれが“契約”だとは!  ……この男は強い。湖底基地のレジスタンスを易々と殺し、あのノアでさえ圧倒する。  この男と一緒にいれば……レジスタンスを皆殺しにしてでも生き残ることができるかも。  ギニーには、目の前の無表情で不気味な男が、これ以上ないくらい頼もしく見えた。 「頼むぞ、ドヴォール。俺はなんとしても、生き延びたいんだ……!」  ギニーの懇願に、相変わらずドヴォールは落ち着いた声で答える。 「死にたくなければ俺から離れるな。……運命に嫌われない限り、お前は守られる。」  ギニーはほくそ笑む。  言っている意味は分からないが、こいつから離れなければ大丈夫ってことか。  上等だ。死ぬまでしがみ付いてやる。  並んで、静まり返った通路を歩く2人。  やがて大きな扉の前にやってきた。……到着後に情報の共有をした、大会議室だ。 「この部屋は何だ、ギニー。」 「大会議室。……今は、誰もいないはず……いたとしても、湖底基地の奴らが1人か2人、ってとこだろう。」 「……入るぞ。」  ギニーは怯えた様子で、消極的に回答した。  しかし、ドヴォールにとっての目的は、湖底基地への攻撃。  1人か2人どころではない。もっと多くの人間を相手することが義務付けられている。  そして、それだけではなく――。  ドヴォールは取っ手を無造作に掴み、扉を開けた。  広々とした空間が、2人を迎え入れる。  その瞬間、戦慄が走った。  誰に? あえて言うならば、ドヴォールの後ろでその光景を目撃していたギニーに。  会議室内で待機していたのだろうか、扉が開いた直後、待ち構えていたいくつもの飛び道具がドヴォールに一斉に飛び掛った。  銃弾。炎の矢弾。雷を纏った矢。それが侵入者へ、これでもかというほどに浴びせられる。  部屋の向こう側には、武器を構えたティア、ベイト、ミュラ、テイク、エガル、リスナがいた。 「ど、ど、どうして!」 「……。」  ギニーは、自身の推察が見事に外れてしまったことに動転し、素っ頓狂な声を上げる。  自分を庇い、攻撃の的になってしまったドヴォールに対し恐れを見せながら。  当のドヴォールはというと、鬼人の如き。  撃ち込まれた飛び道具をほぼ全て受け流し、節々の鎧で防ぎ、大斧で叩き落していた。背後のギニーには勿論傷一つ付けることなく。  ただし、致命傷にはならないものの、腕や脛に多少の傷は受けざるを得なかったようだ。  銃弾や矢の飛び散った嵐の後に立ち尽くしながら、ドヴォールは自らを狙撃した標的を見据える。  人数で見れば、侵入者は圧倒的不利。  ベイトは勢い良く叫ぶ。 「アサメが応援を呼んだ! これでてめぇはもう終わりだ、観念しやがれ!」  その声が合図のように、レジスタンスの一行は横一列に並び、再び武器を構える。  ミュラとリスナは弓を。ティアとエガルは銃を。ベイトは改造ボウガンを。テイクは十字架を。  人間一人ぐらいなら軽く消せるぐらいには強力な攻撃の嵐。それを放つ準備が整う。  それを前にして、ドヴォールは――不敵に、表情を変えずに笑った……かのように見えた。  そして、左腕一本でギニーの腰を抱えると、自らを狙う鏃や銃口に、突っ込む。  飛び交う怒声。爆炎が轟き、ドヴォールは、跳ぶ。  斧を回転させつつ舞う突撃。それは捨て身の一撃のよう。  ドヴォールがどのような覚悟を以ってそれをしたのかは分からない。  だが彼は、片手の斧一本で――会議室の奥の扉へ到達する。 「!? 何だと!?」  無数の生傷が皮膚に走ったにも関わらず、ドヴォールはレジスタンスの一斉射撃を制した。  その証拠に、ミュラとテイクが彼の両横で膝をついて倒れたのが見える。  ベイトが焦り、ドヴォールの背にボウガンの砲口を向ける。  しかしそれを発射する前に、ドヴォールはギニーを抱えて扉の向こうに走り去っていた。 「……クソッ! ティア!!」 「ティアさん!」  これだけの人数が相手でも突破されてしまった悔しさと、直に思い知った侵入者の強さ。  それを噛み締めながらも、皆はエリアリーダーのティアに最終手段を託す。  この場にいる全員は、この状況でもまだ湖底基地の安全は守られると信じていた。  いくら侵入者といえど、エリアキーの追放に抗うことはできないのだから。  しかし。 「やってるよ、さっきから……。おかしい、おかしいぞ!?」  ティアの握り締めた拳と、冷や汗。  その言葉は、異常事態の発生を明確にしていた。 「侵入者の追放、だぞ……まさか、できねえってのか?」 「ああ。……エリアキーの追放対象として、アイツが捉えられない。……ギニーもだ。  何故かギニーにも、エリアキーの効果が通用……しない。」  ティアの持つ湖畔エリアキーによって、侵入者と裏切り者を追放。  それができれば全ては無事に終わるはずだった。  しかし、ドヴォールは愚か、ギニーでさえもエリア外への追放が不可能であるという、異常事態。 「おいどうすんだ、あの野郎、このままじゃ奥に……!」 「まずい、誰か、誰でもいい、あいつを止めろ……!!」  想定が崩れ、混乱するレジスタンス。  基地内の奥へ奥へと侵入者が入り込む。  この会議室では完全に手の打ちようが無い事を判断するのにも、多少の時間を要した。  その時、侵入者に先手を打てたのは1人の男――アサメだけだった。 ―――  4月22日 20:27 ―――  事情を知ったメンバーで手分けをして基地内の捜索を行なっている頃、アサメは機械室にいた。  案の定、非常用ブザーは破壊され、その機能は消失していた。  これでは室内の仲間に非常事態を知らせることもできず、下手をすれば大惨事を招いてしまう。  アサメが危機を感じて応援を呼んでいなければ、最悪の結果で終わるところだった。  ――やはり、いるのだ。内部に工作をした“裏切り者”が。  それはおそらく侵入者を招き入れたギニーのことだろう。しかし、まだ他にいないとも考えられない。  何故ならば、基地の構造的に考えて、裏口からの侵入手引きとブザー破壊の工作を同一人物ができるとは限らないのだから。  ともかく今は、侵入者の位置に検討をつけることが最優先だ。  仲間の安全を考えて、エレベーターを停止させてしまうか?  いや、それは危ない。侵入者の位置が分からない以上、孤立した仲間の逃げ道まで絶ってしまうのは避けるべきだ。  では……どうする? 今現在、エレベーターは何処の階にある?  機械室には各機器の管理モニタがあり、エレベーターの現在位置も割り出すことができる。  幸い、これは破壊されておらず、問題なく作動した。  アサメは慣れた手際でエレベーターの現在位置を探り出す。  2基のエレベーター。片方は機械室のあるこの階層に停止したまま。  もう1基は――仲間達の宿泊する個室群のある階へ向けて、上昇を開始したところだった。 ―――  ドヴォールはギニーを抱えたまま、エレベーターのボタンを押す。  ギニーからレジスタンスの宿泊場所を聞き、そこへ向かう為に。  エレベーターのドアが閉じ、静寂の密室と化した。  ドヴォールは腕や脚に生じた傷を撫で、その程度を確認する。  多少の痛みはあるが、戦えない程ではない。指令には一切の支障をきたさない。  まずは戦いの苦手な難民や女子供を刈り、罪人の数を少しでも減らすこと。  それがクインシアから与えられた助言の一つだった。  ドヴォールはそれに多少不満も感じていたが、ここまで来てしまったからには勤めを果たさない訳にもいかない。  エレベーターが停止し、到着を告げるベルが鳴る。  ドアが開きかけ、隙間から廊下の電灯の明かりが射そうとした時。  ドゴォッ!!  エレベーターの右側の壁が物凄い音を立て、壁材が装飾諸共密室の内側に雪崩れ込んできた。 「む……っ!」 「うわ、わっ、わ、ひぃあああぁっ!?」  ギニーの上げた相変わらず素っ頓狂な声。身構えるドヴォール。  密室の中に砕けた壁の瓦礫が乱反射し、ドヴォールの皮膚をザクザクと切り裂いた。 「う、う、う……な、なんだよ……!?」  ドヴォールに抱えられて無傷のギニーは、自身を守ってくれたドヴォールの事も見ずに首をあたふたと動かす。  ドヴォールも服に付いた埃を払い、エレベーター内を確認する。  どうやら今の衝撃でドアが歪んだらしく、2mm程の隙間を広げた以上開くことは無かった。  その代わりに、右側の壁に大きな穴が空き、そこから隣のエレベーターの様子が見えた。  エレベーターは2基あり、構造的にその間を遮るものは壁一つ無い。  だから、エレベーターの密室の壁自体に穴を開けてしまえば、そこから隣のエレベーターと空間が繋がることになる。  隣のエレベーターには1人の男が乗っていた。湖畔レジスタンスの一員、アサメ。  彼は両手のナイフで何やら虚空に印を描いており、何らかの魔術を発動させてエレベーターの壁を破壊したようだ。  ドヴォールはその男に感心を持ち、斧を構える前に問うた。 「何故だ? 俺がこれに乗っていると……?」  アサメは落ち着いた声で答える。答えながらも、両手のナイフは別の印を描き始めていた。 「侵入者を会議室で迎え撃てと指示したのは私だ。そんな状況で、反対方向の個室群へと上昇しようとするエレベーター……。  明らかに侵入者だと分かったよ。動きがストレートだというのは、頭を深く使わなくて助かる。」  挑発の意味合いを少々込め、アサメはナイフをギィンと鳴らす。  すると、虚空に描かれた印から無色透明の透き通った槍のような波動が飛び出し、ドヴォールの胸元に飛び込んだ。  ドヴォールは右手の斧を使ってそれを防ぎ、舌を鳴らす。 「私からも聞きたいことがある。……君がここにいるということは、ティアは追放に失敗したな。  どんなタネを使った? それとも……。」  ドヴォールはギニーを左腕から下ろし、両手で大斧の柄を持つ。  そのまま力を込め、胸元に迫る槍のようなものを無理矢理叩き伏せた。 「顕現せよ、ジャベリン。」  そのタイミングを待っていたかのように、アサメは次なる呪文を唱える。  虚空の印から先程と同じような透明の槍が、3本まとまって射出された。  斧を振り下ろした際の隙を付かれた事で、ドヴォールは3本の槍を跳ね返すことができなかった。  狭いエレベーターの密室内で、ドヴォールは身動きを制限されてしまう。 「なるほど……。」  落ち着いた声に少し張りを加え、アサメはドヴォールに話を促す。 「侵入者。君の正体は何だ?」 「……。」  ドヴォールは、アサメの目を見る。期待の篭ったような、それでいて無表情な視線。  アサメはその視線をかわすように首を振り、聞き出す。 「君は……AWの人間じゃないな?」  ドヴォールは少しの間沈黙した。そして突然、堰を切ったように笑い出した。 「ハハ……ハハハハハ、ハハハアハハハハハッ!!!」  アサメは、これ以上の問答を無駄だと判断した。  両手のナイフで巨大な印を描き、不気味に笑う侵入者に向かって高位の魔術を放つ。 「顕現せよ……クリアー・グランドクロス。」  バチ、バチ、と空気中に火花が散った。虚空の印が光熱を帯び、そこから強大な魔力エネルギーが召喚される。  白く透き通った十字の刃の波動が顕現し、槍によって身動きを封じたドヴォールの心臓を目掛け放出する! 「ハハハ……ハハ、ハッ!」  ドヴォールは笑いながら、右手を強く握り締めた。光と熱が密室内に溢れる。  やがて、光は収まり、消えた。その後には、何の変哲もなく、ドヴォールが普通に両足で立っていた。  彼の後ろでギニーは目をパチクリさせる。一体何が起こったのか、彼には何も理解できない。  ただアサメの魔術が発動し、それがドヴォールに炸裂して消えたことだけ。  しかし当のドヴォール本人はビクともしていなかった。肌の傷は多いが、それはエレベーターに乗る前に付けられたもの。  つまりアサメの魔術は、ドヴォールに効果が無く“消えた”のだ。  アサメはそれも想定の内だったらしく、眉一つ動かさずに問い返した。 「本気じゃ無かっただろう?」 「当然だ。一対一の戦いは楽しくてな……少々、心躍った。」  ドヴォールは目を擦ると、アサメを見て話し始めた。 「俺の名はオル・ドヴォール。ゴッディアのドヴォール隊隊長だ。お前の推測通り、俺はAWの人間じゃない。  神に導かれて……この世界にやって来た。」 「なるほどね。それは驚くべき話なのだろうが……生憎、私は君のような部外者の存在を聞いたことがあってね。それほどの衝撃は無いよ。  私が気になるのは、何故……君の後ろの男、ギニーにエリアキーが通用しないか、だ。」  Another Worldで生まれ育った人間ではないから、エリアキーの機能が通用しない。これは道理だ。  だがしかし、ギニーは紛れも無くAnother Worldの住民である。  このカラクリの答えを、ドヴォールは語り始めた。 「俺は“運命を歪ませる力”を身体に宿している。故に、俺が作った魔術領域の中では、俺に都合がいいように運命が歪んでしまう。  ……それだけだ。この男が持つ「Another Worldの住民」という運命が、俺の側にいることによって歪んでいるだけに過ぎない。  難しいか? 理解しているんだろう、その身体で。」  ドヴォールの説明を、アサメはすぐに理解した。  この男の周囲では、この男の都合の良いように運命が捻じ曲がる……つまりはそれだけなのだ。  ギニーにエリアキーが効かなくても、魔術が打ち消されても、銃撃が何故か発砲者に跳ね返っても。……それは全てこの男が宿す力の影響。  こう聞くだけで、とても厄介な能力だということが分かる。  ……この問答中に、アサメはこっそりとナイフで印を描いていた。  しかし何度描いても魔術の発動が遮られる。  ドヴォールが本気になったことで、完全にアサメの攻撃力が封じられてしまったのだ。  ここは逃げ場の無いエレベーターの密室内。ドヴォールの領域から抜け出す方法は――無い。  ドヴォールはゆっくりと大斧を振り被り、アサメの胴体に向かって振り下ろす。  アサメは狭い空間を、身体を捻って必死に避けるが、斧の一撃が腹部を打ち、割れた傷口から血が滲んだ。  やはり、一人で戦うのは無理だったのだ……アサメは悟る。  再び振り上げられる大斧の動きがゆっくりに見えてくる。 「……俺の宿す力はまだ完全ではない。俺は、俺の運命を破る事が出来る人間を探している。  運命に縛られない、強い力を持った者を。どうやらお前は、そうではなかったようだが、な。」  次の斧の一撃をまともに食らえば、死ぬ。  アサメの腹の傷の痛みがそう告げていた。  ……だが。アサメは覚悟していた。  私が死んだとしても、このエレベーターからこいつを降ろす訳にはいかないね……!  ドヴォールの斧が、振り下ろされる――  ――刹那、エレベーターの扉に空いた2mm程の隙間から、――轟音を伴い――大量の水が溢れ込んで来た!! 「!!?」 「わっぷ!」 「……時間稼ぎは十分、した。間に合ったか……!」  ドドドドドドド…………!  その大量の水を、密室のエレベーターに注ぎ込むのは、ホーエー。  エレベーターの扉の隙間からでも分かる彼の表情は、ギニーに注がれていた。 「あ、う……ホー、エー!」 「ギニー。……何で、こんな馬鹿なことをしたんだよ。ボクは……ボクは君のことを、友人だと思っていたのにっ……!  今まで一緒に旅をしてきたのに……全部、嘘だっていうのかよっ!!」 「ひっ……ぅ……。」  ホーエーの怒りが水の魔術となって、エレベーター内に蓄積されていく。  あっという間にエレベーター内の水かさは増え、ドヴォールの肩ぐらいの高さにまでになる。  完全な密封状態ではないエレベーターの室内は、時間が経てばすぐに水が抜けて元に戻ってしまうだろう。  だが、一瞬だけ、ドヴォールの動きを制限できればそれで十分だった。  この状況で、ドヴォールは大斧でアサメにトドメを刺す事はできない。  アサメは溜まった水の中に深く潜り、浮力で斧の威力を殺しているのだから。 「私が死んだとしても、このエレベーターからこいつを降ろす訳にはいかないね……!  反撃する唯一の可能性を……切り開くのだから!!」 「ク……フフ、面白い。見せてみろ、お前の力を!」  まだ完全ではないドヴォールの能力は、時間が長引けば長引くほど効果が弱まっていく。  両者とも、それを肌で感じているようだ。  アサメは水中で、魔術の印を刻んだ。  第36話へ続く