Another World @作業用BGM紹介: 第37話.『Xデー』  4月22日 22:00 ―――  中枢管理塔の一室。  何処から持ち出したのか、上品な椅子に優雅に腰掛け、上品なテーブルに置かれた紅茶を口にする近衛兵クインシアが居た。  淑女の顔色が示すのは上機嫌。  数時間前に送り出した刺客、オル・ドヴォールの侵入が成功した為だ。  紅茶と一緒にテーブルに置いてある、クインシアにしか見えないチェスの盤面。  ゲームは、彼女が想定した通りに動いている。  クインシアの自陣には数個の駒。相手の陣の中に飛び込んだ1つの駒。そして、相手に取られて番外に除けられた1つの駒があった。 「……楽しそうだね、クインシア。」  少し離れたテーブルから、別の近衛兵が頭の羽飾りを弄りながら声をかけてきた。  黒いマントを纏った優しげな瞳の青年、カルデオである。 「ニヤニヤ顔がここからでも分かるもの。淑女たる者が、ちょっとアレじゃないかな?」 「覗き見ですか、カルデオ様。貴方も趣味が悪いこと……。」  クインシアは取り繕うようにクスクス笑う。  カルデオはテーブルに広げた原稿用紙の上にペンを倒し、背伸びをした。 「アイデアが思い浮かばないな、今夜は。」 「何処か調子でも悪いんですの?」 「いや、気分の問題かな。……クインシアは調子、良さそうだね。」  悪戯っぽく尋ねるカルデオに対し、クインシアは上機嫌に笑顔を向ける。 「ええ。……全てが順調ですのよ。罪人の会堂の浄化はもう、時間の問題ですわ。」 「……完璧に手駒を揃えたって聞いたよ。君のお得意な“操り人形”が良く働いているそうじゃないか。」 「人聞きが悪い事を言いますわね。あの方は素晴らしき殿方です。偉大なる神に理解を示し、快く手伝って下さるのですから。」 「なるほど。……君はその“素晴らしき殿方”とやらを、使い捨てたってことだね。」  カルデオの挑発めいた一言に、クインシアの笑顔は薄くなる。 「ああ……そちらの話でしたか。」  クインシアは、盤外に弾き出されて転がっている駒を思い浮かべた。  もうその事については興味が無いというように、淡白な口調で話す。 「使い捨てた……とは違いますのよ。ドヴォール様が完璧に指令を遂行していれば、あの方の安全は守られたのです。  流石のドヴォール様でも、手に余ったようですけれど……それは仕方の無い事ですわ。  そもそも、わたくし達に協力して下さると決断したのは、ギニー様自身なのですから。立派でしたわ、神の下にて祝福されるでしょう。」  クインシアは両手を合わせ、“神の下へ旅立った”ギニーに祈りを捧げる。  その様子は、カルデオにとっては嘘っぽく見えて滑稽だった。 「よく言うよ。魔術で無理矢理言う事を聞かせたクセにね。」  カルデオは、自分の喉を指差して、ギュッと絞めるようなジェスチャーをして笑う。  クインシアは何かを思い出したように頷くと、ニコリと微笑んだ。 「ああ……そうでしたわね。ギニー様に初めてお会いした茶室で、そんな芸を披露致しましたわ。  殿方の理性を奪い、その瞬間に喉をチクリと刺激するだけ。簡単な手品でしたわね。」 「手品?」 「ええ、手品ですわ。第一わたくしは、“嘘を吐いたら死ぬ”ような便利な魔術は使えませんので。  特に脅迫した訳でもございませんし、ギニー様がわたくしの言う事を信じるのも自由でしたのよ?」  自分は悪くない、とでも言いたげなクインシアの澄ました様子に、カルデオは笑いが止まらなかった。 「ププッ、脅迫した訳じゃない、って……ギニーって人、死んじゃったよ? クックック。  勝手に思い込んで、追い詰められて、仲間裏切って、それで巻き込まれて……最期はぐちゃぐちゃに潰れて死んだよ! クックク!  そっかそっか、自由に動かせる操り人形って、こうやって作るんだね! 流石、僕には真似できない。」 「操り人形ではありませんのよ。と、さっきも言いましたわ。カルデオ様。」  上品に紅茶を啜るクインシアと、声を上げて笑うカルデオ。  2人の近衛兵が、1人の人間の死を笑いものにしていた。 「ギニー様も、我が偉大なる神の為に命を捧げる事が出来て、幸せな殿方ですわ。  その働きの御陰で……更に罪人達を粛清できるのですからね。」 「クックッ……ああそっか、君は容赦無いね。流石、忠実な巫女様だ。恐ろしくてたまらない……。  手駒はまだ居るんだものね。……もう1人の“操り人形”、レジスタンスの内部に潜る切り札が。」 「ええ。」  とうとう“操り人形”を否定しなくなったクインシアに、カルデオはもう一笑いをする。  クインシアには、ゴッディアの一部で陰口のように呼ばれているあだ名があった。  ――罪人の心を痛め付ける“拷問狂”。 「湖畔エリアを完膚無きまでに叩き潰す執念。……君だけは敵に回したくないなぁ。  ……次は何をするつもりなんだい。こっそり教えてくれよ。」 「クスクス。特に隠し立てすることはございませんが……。楽しみにして下さいませ。至高の盤面が完成する瞬間を。クスクスクス……!」  室内で不気味に笑い合う、異次元からの殺戮者たち。  この異質な雰囲気を、この世界に住む者達には決して理解できないだろう。 「それにしても。」  クインシアから紅茶のカップを貰い、カルデオは微笑みながら切り出す。 「デュオが審判の準備をしている間に、結構とんでもないことやらかすね。君は。」 「とんでもないこと、とは?」  クインシアも笑顔で聞き返し、カルデオが紅茶を啜り終わるのを待つ。  椅子に座りながらも気品溢れるその佇まいは、イグルス一行の一件について取り乱していた姿を微塵も感じさせない。  完全に余裕を取り戻していた。 「当然、この湖畔エリアへの攻撃の件だよ。デュオにもやりたいコトがあるらしいからね……無許可でここまでやるとなると、  流石に彼は不快になるんじゃないかな。……僕にとってはどうでもいいけどね。」  クインシアは肩をすくめ、扇子で口元を隠す。 「何を仰いますやら。罪人への裁きは神の御意志。何事にも優先されるべきこと。  デュオ様がご不快に? それは頂けませんわね。……近衛兵には、妙な拘りは必要ありませんわ。  さもないと、トリード様の審判のように手緩くなってしまいますので。」 「それに関しては同意もするけど。でもね、君がゴッディアの権利のほとんどを掌握している、ってのは……ね。」 「……それは、どういうことでございますか?」 「大体分かるよ。君は最近、Biaxeにべったりだから。」  クインシアは目を細める。  カルデオは、「全てお見通しだよ」と言わんばかりに優しげな微笑みを浮かべる。 「操り人形を作って、レジスタンスに送り込んで……兵器開発の担当者であるBiaxeを協力者にしてさ。  あと、セプタスにも何か頼んでたみたいだね、君。……そこまでして、何がしたいのかな。」  クインシアの顔から微笑みが消える。どうも、カルデオ相手だと分が悪いらしい。 「……答える義務はありませんわね。ただ一つ言えるのは、私は神の御意志を実現する……それだけですわ。」 「まあ、僕にも追究する権利は無いわけだ。それに、僕は誰の味方でもない。  勝手な行動には目を瞑るけど。気をつけなよ?」  カルデオは紅茶を飲み終え、カップを置く。 「Biaxe……あの人もあの人で、何考えているか分からないからなあ。……罪人を全滅させたい、って気持ちはあるみたいだけど。  油断したら、研究対象にされるかもしれないから……ね。」 「……。」 「紅茶、ご馳走様でした。いつも通り美味しかったよ。」  カルデオは席を立つ。身に纏う黒きマントがはためいた。  原稿用紙とペンを持ち、そのまま退室しようとするカルデオに、クインシアが飛び付くように尋ねた。 「貴方こそ……。管理人の捜索はどうなのです? 何か目ぼしい情報はありましたの?」  カルデオは振り返らずに、そっけなく答える。 「さあ。……あのキツネ、さっぱり見つからなくてね。申し訳ないんだけど。まあ、引き続き頑張るよ。」  クインシアは、去るカルデオの背を見つめて少しの間動かなかった。  そしてカルデオがテーブルに置いた紅茶のカップの底に目を落とす。  穢れなく真っ白なはずのカップの底には、模様のようなものが刻まれていた。  よく見ると、それは模様などではなく、文字であることが分かる。  ただ、流暢で芸術的な書体で書かれている為、模様のように見えてしまっていた。 「……何ですの? これは。」  クインシアがカルデオに紅茶を振舞った際には、カップの底には傷一つ無かった。  そこに書かれていた一文は謎めいていて、クインシアは理解できずに眉を顰める。 “心という宝石は傷付いてこそ光る。傷無き心に意志は宿らず。――エルマ・K・ガーネイシャー”  その文章はクインシアにとって見覚えがあるような気はしたが、何を意味するかはさっぱり分からない。  クインシアはカルデオの事を、改めて不気味な男だと感じた。 ―――  4月22日 22:30 ――― 「……02号、ヴィーア。03号、タッサ。共に安定。すぐにでも実用可能レベルです。  01号、シーファの復元処理は難航。サンプルが不足していて……。」  白衣を着て、書類を抱えた近衛兵の少女、ノーネが研究報告を読み上げる。  散らかった室内でそれを聞くのは近衛兵セプタス。それとぼさぼさ髪をした研究者風の男、Biaxeであった。  Biaxeは退屈そうに眼鏡をいじり、身に纏う白衣風のローブの埃を払った。 「……以上です。今後はどうしますか?」 「そうだネ、んん。……シーファの復元は打ち切ってもいいヨネ、イッヒヒ。他の6体の強化を集中したほうが、美しい。いや、楽しい。イヒヒヒッヒ!」 「相変わらず意図不明な言語を使うな。……私にも異論は無いさ。」 「了解しましたー。」  ノーネは書類を落としそうになりながら全身で抱え、部屋から出る。  Biaxeとセプタスが残された。  手元のノートに何かメモを取り始めるBiaxe。その様子を、セプタスはじっと見る。  少ししてBiaxeがその視線に気付くと、気持ち悪そうに拒絶する。 「……さっさと出て行って貰おうか。私はお前と会話する趣味は無いぞ。」 「知ってルよ? というか、私もそうだしな、イヒ。……ヒヒ。」 「そうかそうか。……お前も忙しいだろう、さっさと部屋に戻れ。」 「……まァいいか。失礼するよ。」  セプタスはよろよろと落ち着かない仕草をしながら部屋を出る。  Biaxeはそれを見届けた後、どっと疲れたように座り込む。  ……やはり、ゴッディアの連中とは快く付き合えない。  近衛兵セプタスが異質なだけかもしれないが、私の仕事上、他の近衛兵とは付き合いが薄い。  最近はそうでもなくなってきたが。  私の“娘”を貸し出してやってる近衛兵デュオ、私の頭脳を頼りに接近してきた近衛兵クインシア。  両者とも、私を便利屋か何かと勘違いしている面があるようだが……まあいい。  このゴッディアという組織は、私無しだと易々と崩壊するな。  Biaxeは苦笑する。  そして、現在進行形でこのゴッディアの為に数々の研究を提供している事を思い返す。  代表的なのが、“次元核”。  Biaxeがこの世界に降り立つ前に所持していた自爆装置付き偵察機「ブラックハート」を改造した強力な時限式爆発兵器。  次元核というネーミングには若干の不満はあるが、異次元の知恵の結晶という事で分かりやすい名称に落ち着いたのだ。  そもそも次元核というべき兵器は、正確にはBiaxeの手を離れた後に完成したのだ。  セプタスの持つ生物研究の知識でBiaxeの爆発兵器を改良、生物細胞を持つ影の神兵に組み込むことによって、次元核は生ける爆弾と化した。  次元核は神兵の心臓部に取って代わり、宿主が死することで自動的に爆発を起こす。  この核のエネルギーを逆利用し、影の神兵自体の強さを引き上げることも可能なのだ。  尤も、大抵の神兵の身体はその反動に耐えられずに自壊するのだが。  何せその次元核の持つ威力は絶大。威力のテストによって、遺跡エリアが丸ごと廃墟と化したほどに。  ……昨日、この地下研究施設への侵入者に、次元核の威力を逆手に取られたという報告を聞いた。  あまりに威力が大きすぎるために、ひとつ暴発されられるだけでこの施設は壊滅するのだ。  警備もロクにできないとは、全く、近衛兵というのは当てにならない。  故に、次元核には更なる改良が必要であった。  “次元核搭載巨大生物兵器”の開発こそが、その計画に丁度当てはまる。  次元核のエネルギーに耐えられ、かつエネルギーを吸収し強化することのできる生物細胞の開発。  セプタスと共同で行うこの研究によって、7体の実験体が生まれた。  それの完成形イメージは、言わば「意志を持ち強靭な戦闘能力を有する次元核」。  それさえ完成すれば、次元核を故意に暴発させられることもない。  実験中の1体、“傲慢”の怪鳥シーファがレジスタンスに打ち破られたのは残念だが……まだ改良の余地があるということだ。  その研究は今も着々と進んでいる。  セプタスが主導というのが気に入らないが……な。  そして、クインシアより秘密裏に頼まれているものがあった。  Biaxeは、デスクの上にあるコンピュータを立ち上げる。  そこに映り込んでいる、複雑な構文と処理の羅列。  クインシアに依頼されていたものとは、あるプログラムだった。  効率的に生命を殺し、効率的に大地を蹂躙する――“破壊”の能力に特化したプログラム。  聞けばクインシアは、個人で動かせる私兵が数多く欲しいらしい。  このプログラムを使用し、より効果的に自らの目的を達する為の手足を作り出すつもりのようだ。  Biaxeは半信半疑だった。近衛兵クインシアは不自然なくらい貪欲すぎる。  クインシアは他にもたくさん、自由に使える操り人形を所有しているという話も聞く。  これ以上欲しがる理由もよく分からない。増してや、プログラムなどに頼るとは。  ……案外、あの女はゴッディアにも反旗を翻し、この世界を我が物とするつもりなのかもしれないな。  Biaxeはそう考える。近衛兵クインシアに好き勝手にされるというのも気分がいいものではない。  あの女の入れる茶は美味いが、それとこれとは話が別だ。  何故なら、私にもこの組織の味方をする理由がある……。  Biaxeは壁に貼ってあるAnother worldの地図を見る。  色とりどりの表情を見せる大地の縮図が、そこに描かれていた。  Biaxeは異次元からやってきた人間。  このAnother Worldに惹かれ、世界そのものを手に入れようとやってきた人間であった。  しかし時期が悪く、Biaxeの到着した同日にゴッディアが襲来。世界を蹂躙し始めたのだ。  Biaxeの欲する理想郷には余計な存在は要らない。BiaxeはAnother Worldそのものを守ろうと考えた。  あえてゴッディアに付き、兵器によって住民を一掃した後、弱ったゴッディアを内部から撃退するという計画。  ゴッディアに気に入られるのは簡単だった。異次元で培った兵器の技術力を提供するだけで良かったのだから。  これが成功すれば、Another WorldはBiaxeのものとなる。  ……彼が望む、“理想郷”の姿が完成するのだ。  住民の数は減り、計画は順調に思えた。  しかしBiaxeの頭脳は、ある可能性を割り出す……。  Biaxeのデスクに散らばるメモの一つに、複雑な計算が書かれているものがあった。  その計算の結果、彼は何かを見つけ出したのだろうか。   Xデー 5月29日〜6月18日? 回避不可?  演算の結果であろう結果が書かれてあるこのメモを見て、Biaxeはコンピュータと向き合う。 「……まだ時間はある。それまで……。」  部屋には、キーボードのタッチ音が響き続ける……。 ―――  4月22日 23:35 ―――  中枢管理塔の頂上、玉座の間の円状の空間。  天窓からは夜景が見える。星一つ無い、濁った空だった。  かつて近衛兵トリードが君臨していた玉座に、仮面で顔の右半分を隠した男が座る。  男が着るのは派手な配色でギラギラと目立つスーツ。玉座にはとても不釣合いであった。  しかしその男は紛れも無い、現・審判の執行者。  トリードとは別の意志を抱えた近衛兵デュオが、仮面に覆われていない左目から黒い情念を覗かせる。  手袋をした右手には、3つの6面サイコロが握られている。 「……クインシアめ。でしゃばるな、っつっといただろーがよ……。」  不満げな低音の声。デュオはイライラと玉座を蹴るように立ち上がる。  そして、徐に目の前の足元に向かってサイコロを放る。  カツンッ、コロコロコロ。  3つのサイコロは床に当たって跳ね返り、各々の方向へ飛び散った。  出目はそれぞれ、5,3,1。合わせると、9。 「9か……まあ、なんでもいい。」  デュオは時計を見て、もうすぐ0時だということを確認する。  いよいよ始まるのだ。デュオの――運と才能を試す“審判”が。  だが、デュオの様子はおかしかった。  初の審判の矛先が、一箇所に向かう。 「やらせねーよ……。この世界は今、オレのもんだ。オレが好きに弄くって遊ぶんだよ……。  じゃなきゃ、トリードの生真面目な審判を終わらせた意味ねェんだよ。」  そしてデュオは、スーツ状の服の胸ポケットからダーツの矢を取り出す。  それを構え――壁に貼り出してあるAWの地図に向かって、投げた。 「……審判のついでだ。クインシア、てめぇの思い通りには事は運ばせねェ。  てめぇの操り人形もろとも、オレが・全部・ぶち壊してやんよ!」  ダーツが突き刺さった場所は――湖畔エリアのデフィーラ湖だった。  第38話へ続く