Another World @作業用BGM紹介:http://www.youtube.com/watch?v=qEMLNCTkzdM(うみねこのなく頃に より Mortal stampede) 第41話.『抉じ開けられた記憶の扉』  4月23日 8:39 ―――  温和な牧師といえど、この数日間で十分な戦闘能力を身に付けたテイク。  彼は眼前で殺意を剥き出しにする百選練磨の戦士・ドヴォールと、互角以上の戦いを続けていく。  ドヴォールは落下で負った全身の傷が開き、一つ一つの挙動にも痛みが伴う。  愛用の大斧を振り回すのですら精一杯だった。  だから、無力な牧師とひ弱な治療士の2人さえ、屠る事が適わない。  手を抜いている訳では無い。侮っている訳でもない。  運命を歪ませる能力を行使してさえいる。  しかしテイクの繰り出す空気を切り裂く十字架の刃は、ドヴォールを徐々に追い詰める。  その攻撃は軌道の読めないブーメランのよう。  ズシン、と突然重い音が響く。  業を煮やしたドヴォールが大斧を床に捨てたのだ。  満身創痍のドヴォールにとって重い武器はもはや枷だ。  両手を自由にし、全身を軽くし――肉弾にて勝負をかけようと、テイクを睨む。  そんなドヴォールを、同じ高さの目線で見つめながら、テイクは思いを馳せる。  かつてゴッディアに与していた際に耳にした、AW住民殲滅において大きな功績を収めていたドヴォール隊……。  その隊長であり、異次元から招来された、神の命令に忠実な猛者。  そんな相手が、今この場所で牧師である自分と対等に戦っている……。  テイクは大いなる寛容の心を持って、優しくドヴォールに語りかけた。 「オル・ドヴォール。貴方が誇り高き戦士である事は知っています。ゴッディアの側について戦うのも、きっと理由があるのでしょう。  ……神は告げられました。罪は必ず贖えると。今なら間に合います。両手を頭の後ろで組み、膝を付きなさい。」  しかしドヴォールは、肩で息をしながらテイクの説得を一蹴する。 「罪は罪だ。その運命から逃れられやしない。神が俺に告げたのは一つの指令。  罪人の殲滅……それだけだ。」  ドヴォールはテイクに飛び掛る。まず肩に装着している鎧でぶつかり、テイクの体勢を崩す。  そしてそのまま圧し掛かり、左手で首を掴んで床に押し倒した。  振り上げた右腕の筋肉が強張り、握る拳に全ての力が籠められる。……それが打ち下ろされた時、テイクの顔面は砕かれるだろう! 「終わりだ!」 「くっ……まだです!」  しかしドヴォールの背後に、鉄の十字架が空気を切り裂きながら舞い戻ってきた。  テイクが押し倒される瞬間、咄嗟に放り投げていたものだ。  シュルシュルシュル……。  独特の音を立てて、十字架がドヴォールの背に接近した。そこまでは良かった。  ドヴォールの背に触れる瞬間、十字架の回転は逆向きになり、ドヴォールから遠ざかるように弾け跳んだ。  “運命”が、歪んだのだ。  テイクは唇を噛み、覚悟を決める。ドヴォールはそれを見ながらも、無慈悲に拳を打ち下ろす! 「ビクティム・ドロー!!」  花蓮の声が空間に木霊する。  2人の戦いを見ていた花蓮は、この状況に介入する事を決断した。上着の下に、一冊の魔術書を携えて。  花蓮が叫んだ先には、床に押し倒されたテイク、拳を振り下ろそうとしているドヴォール、弾かれた十字架が順番に、一直線に並んでいた。  すると――十字架の回転が更に逆向きになり、それは真っ直ぐに、花蓮の胸元へと飛翔していく。 「くっ!?」  ドヴォールは、振り上げた右腕に鋭い痛みを感じ、テイクの顔面に叩き込もうとした一撃を外す。  腕は鋭利な刃物のような武器によって傷付けられていた。それは勿論、テイクの十字架によるもの。  ドヴォールの背後に弾き跳んだ十字架が再び翻り、花蓮の下へと飛んでいく過程の、直線上にあったドヴォールの腕を切り裂いたのだ。  花蓮はテイクの十字架を綺麗にキャッチし、ふう、と安心したように一息を吐く。 「何かを傷付けようとする物体を私の身体に引き付けるチカラ……それが、撹乱魔術“ビクティム”の技の一つです。  貴方は運命を捻じ曲げられるかもしれません。けど、私は知ってるんです。運命は儚いものだって……。」  腕の痛みに気を取られ、ドヴォールはテイクの首を押さえ付ける力を弱めた。  その一瞬の隙を突き、テイクは密着するドヴォールの身体を引き剥がし、立ち上がる。 「病気や怪我で苦しむ人……そんな人たちに与えられる運命は理不尽なものです。  でも、治療士はそれを認めません。認めちゃいけないんです。運命を覆す為に、私達は居るんですから!」  テイクの全力に圧されるドヴォールは、既に体力の限界だ。  大斧は床に転がり、身を守るのは身体の節々にある鎧しかない。 「何が罪か、貴方は自覚できていないのですね。貴方もまた、壊れた地上を彷徨う迷える子羊の一人……私達と何ら変わらないのです。  さあ、懺悔の時です。祈りなさい!」  テイクは両手で何かの印を作る。  十字架は握られていない。しかしそれでも、彼を中心に微かな真空波が巻き起こる。  そのエネルギーは徐々に溜まり、それに合わせてテイクの法衣がはためく。  その間にもドヴォールはテイクに殴りかかろうとするが、分厚い真空波の壁が妨害し、拳はテイクに届かない。  暴れれば暴れるほど、逆に拳が切り裂かれていく。味方の花蓮ですらテイクと距離を取らねばならなかった。  テイクがドヴォールに向けて両手を突き出し、指先で十字架を作る。  それを合図に溜まったエネルギーがテイクの腕を伝い、指に収束し、凄まじい風の音と共に真っ直ぐに放射された。  巨大な十字架の姿をした真空波――グランドクロス!  ドヴォールはようやく本能に従い、この攻撃を避けようとした。  しかし何処に逃げる? 真空波はガリガリと通路を覆うコンクリートを砕き、抉り、剥がしてゆく。  壁、床、天井、その全て。狭い通路に逃げる場所などありはしない! 「く、う、うおおおおぉぉおおぉおおおおおぉぉっ!!!」  ドヴォールは雄叫びと共に、真空波の嵐に飲み込まれる。  ガリガリと鎧が削られ、瞬く間に服が破れ、皮膚が細かく切り刻まれてゆく。  その衝撃の中、ドヴォールは意識を失うまで叫び続けた……。 ――― 「これで、っと、大丈夫です。」  花蓮は止血作業を終え、額の汗を拭って立ち上がった。  テイクは法衣の袖を撫でながらそれを見届けた。  先程放った技によって、袖の生地がボロボロになってしまい、法衣としてはかなり不恰好な状態になってしまっている。  2人の足元にはドヴォールが仰向けで倒れていた。  全身が痛々しいほどにボロボロで、特に傷の深い部分には包帯を巻いて処置をした。  意識は失っているが、花蓮の手厚い治療もあって生きている。  結局2人は、ドヴォールに止めを刺す事ができなかったのだ。  この状態のままなら大きな害は無いだろうと、最低限の治療をしてこの場に寝かせて置く事に決めた。 「本当に良かったのでしょうか。……いや、信じましょう。」  ドヴォールが目を覚ましたら、基地の外へ逃走するだろう。  もしかすると再び襲来し、また仲間を傷つける事になるかもしれない。  これは愚かな独断だと自覚はしていた。  しかしドヴォールは誇り高き男で、神の指令への執着さえ無ければ立派な一人の戦士なのだ。  ここですぐに消さなければならないほど救いようが無いわけでは無い。  それよりも問題なのは、基地内に潜む裏切り者と近衛兵ソロ。  ドヴォールのような刺客は別の問題であり、殺したところで根本的な解決にはならない。 「……行きましょう、テイクさん。」 「はい。……オル・ドヴォールよ。どうか、貴方を蝕む運命の呪いから解き放たれますように。」  テイクはドヴォールに祈りを、いや、希望を捧げ、花蓮と共にその場を後にする。  その際、床に落ちているドヴォールの大斧を引き摺り、処分しようと持ち歩く。  これを使って再び暴れる事ができないように、エレベーターのシャフトにでも捨てるつもりでいた。  テイクと花蓮はリフトに乗り、最下層に向かったノア達を追う。  優し過ぎる心を持った2人の決断は、果たしてどのような結果をもたらすのか……。 ―――  4月23日 8:54 ―――  脅威の身体能力を持つソロに対し、直接ぶつかり合うのはノア。  飛び道具を持つミュラ、ベイトと魔術師ホーエーは必殺のチャンスを伺い、2人をぐるりと囲むように陣をつくる。  それ以外の面々は戦闘不能に陥り、室内に疎らに倒れていた。  ソロは振動する右拳と刃を仕込んでいる左拳を巧みに繰り出し、ノアを翻弄するように組み手をする。  ノアは剣でそれに対抗する。徒手空拳の相手に武器を用いたとしても押し切る事ができないあたり、近衛兵ソロの実力の高さがよく分かるだろう。  だが、ノアにはもうひとつの剣がある。  もう片方の手にみゆが使っていた軽い細身の剣を握り、合わせて2つの刃を交互にリズムよく繰り出す。  ソロの重い拳を、2本の剣を交差させて受け、そのまま横に流す。  そして隙の出来たソロの脇腹に迷い無く蹴りを入れ、距離を取った。  かつて高地エリアで交戦していた時とは違う、双剣操るノア。  双剣の十分な訓練時間は無かったはずだが、ノアの秘めたる高い戦闘センスもあり、短時間でこの精度まで練り上がっていた。  組み合いの途中、ソロは試すように視線をずらし、ミュラやホーエーの構える方向へ跳躍しようとする。  しかしノアはその動きに追い付き、ソロの足元に鋭く太刀筋を走らせる。  微かなソロの挙動すら見逃さず、それを防いでいた。  ソロは微かな手応えを感じて口元を緩める。  これはノアの無言のメッセージだ。――仲間に手を出すな、と。  刹那、ソロは身を屈ませ、床に手を付いて跳ぶ。  その動きに重なるタイミングで稲妻を纏った矢が飛来し、ソロの頭頂部をかすめた。  続けて4本の矢が跳び上がるソロの足元を追うように空を裂き、軌道を変え、再び床に着地しようとするソロの心臓目掛けて飛び込んでいく。  ソロは恐るべき反射神経を発揮し、左手甲の刃で2本を弾き、1本を掴んで止めた。  残り1本は止められなかったが、上半身を捻って左肩の筋肉で受けた。  ソロの白い服が稲妻で焼け焦げ、その下の皮膚がほんの少し晒される。だが、皮膚自体には傷は付いていない。  ミュラの矢、ベイトの矢弾が乱れ飛び、ソロはそれを避ける。  前後左右に動き回るソロだが、それを囲む陣形は崩れない。ミュラ、ベイト、ホーエーの3人は一定の距離を保ちながら、追い詰めるように射撃していく。  飛び道具の嵐が止むと、間髪入れずにノアの双剣がソロの懐に飛び込む。  ソロはそれを受け止め受け流し反撃する。ノアと距離を取れば、また再び飛び道具の嵐。  タイミングはバラけているが、これを繰り返していた。  ソロに決定打は与えられない。しかし、ソロには休む暇さえ無い。  このまま戦いが長引けば、近衛兵といえど徐々に疲弊するのは間違いないだろう。  その好機をじっと、辛抱強く待つ。 「なるほど。この前とは違うな。……面白い。」  レジスタンスの作戦を見抜いたソロは、口元を楽しげに歪める。  遥々この湖底基地に来た甲斐があったものだ、と言わんばかりに。  ノアがソロの両腕を双剣で受け止めている間、周りの3人は次の狙撃の準備をする。  ミュラは矢の束を番え、ベイトはボウガンに特製の矢弾をセットする。  ホーエーも詠唱の為に一呼吸置こうとしたが、強く咳き込んだ。 「ゲホ、ゴホッ……!」  疲労が限界に来たのか、ホーエーは片足を踏み外し、ガクリと体勢を崩した。  ソロはそれを見るやいなや、ノアの剣を弾いてホーエーの方向へジャンプする。  その動きは想像以上に素早く捉える事はできず、ノアは声にならない叫びを上げながらソロを追う。  ソロは項垂れるホーエーの眼前に着地し、腹を蹴り飛ばそうとしていた。  しかし、ホーエーは咳をし終わるとソロの冷徹な目を真っ直ぐ見つめ、喉の奥から声を放った。 「これでも、くらえぇっ!!」  渾身の叫びと共にホーエーの胸の前に小さな水球が出現し、ぶわっと膨れ上がる。  それにソロの蹴りが触れた瞬間、水球は派手な音を立てて破裂し、水飛沫を周囲に散らした。  ドカッ!  ホーエーはソロの右脚に蹴り上げられ、数メートルほど飛ばされて壁に激突し、そのまま意識を失った。  ソロはホーエーの奇妙な反撃に首をかしげる。  特に強烈な衝撃というわけではなくソロの脚にダメージは無いが、ソロの首から下が水飛沫を被り、びしょびしょに濡れてしまっている。  ソロは振り向く事もせずに背後に腕を伸ばし、ノアの剣を制す。 「どうした? 仲間を守るんじゃなかったのか。」 「……。」  ノアは無言で数回剣を振り、ソロの腕を斬った。ソロの硬い皮膚には傷一つ与えられない。  ノアは再び距離を取り、双剣を構え直す。  すると、ノアの両手に握る双つの剣、その両方から、パチパチと紫色の光が放出した。 「紫電の――双剣か。それは良いが、俺には通用しないぞ。」 「試してみるか? 今なら十分、通じる気がするよ。」 「威勢は結構だが…… !」  ソロははっと気付く。そう、ソロの身体は今、水で濡れている。  首から下、腕も拳も、指先まで。ホーエーの捨て身の反撃によって。 「ありがとう、ホーエー。……覚悟しろ、ソロ。」  ノアが紫電のエネルギーを蓄えた剣を構え、一歩一歩とソロに近付く。  ソロの身体は今、電撃を通しやすくなっている。拳で受け止めたところで電撃のダメージだけは防げない。  強硬な近衛兵ソロの皮膚でも、傷を負うのは避けられない!  しかしソロは両の足を踏み締め、両手を構える。避けるつもりなどさらさら無い。  真正面から受け止め、全てを叩き潰そうという意思で満ちていた。 「来い。お前の力、見極めてやる。」  ノアは無言でソロの瞳を睨み返し、叫びと共に双剣を振り抜いた。  ソロは両腕でそれを受け止める。  紫電の光が弾け、激しい光と轟音が室内に溢れ出す。 「ぐむぅぅぅ……ぅぅああああっ!!」 「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」  ソロは今まで発した事の無いような苦悶と意地の叫び声を上げ、ノアもそれを圧すように叫び続ける。  紫電の光はソロの拳から腕に流れ込み、灰色の煙をプスプスと放出し始めた。  ソロの皮膚を電撃が伝い、じわじわと細胞を破壊している証拠だった。  やがてソロの肩まで紫電が流れ込み、とうとう上半身全てに紫色の光が溢れる。  ソロの顔は味わった事の無い苦痛に歪み、叫びは悲鳴のように変わりゆく。  紫電の放出はまだ続く。ソロの皮膚が次第に黒く変色し、細かく赤い筋が浮かび上がる。  上半身の白い服や首の赤いスカーフも焦げ付き、ボロボロと崩れ始めた。  そして、ふっと紫電の光が途切れる。  ノアの魔力が枯渇してしまったのか。ソロの拳に当てている双剣も光を失ってゆく。  ソロは――上半身の皮膚が紫電によって焼け焦げているが、倒れない。  顔面を汗で汚しながら、苦しそうに呼吸をしている。しかし、意識を失わせる程の決定打にはなっていない……! 「……耐え切ったぞ。ゼェ、ゼェ……お前の、負け、だ……!」  考えてみれば、近衛兵ソロをここまで追い詰めただけでも奇跡のようなものなのだ。  高地エリアでの苦い敗北。あの経験から考えてみれば、それがよく分かる。  ノア達はよく戦った。今ここで敵わなかったとしても、それは誇るべき事なのだ……。  ソロの、焦げ付いて黒く変色した右拳が、ノアの顔面を捉える。  この拳が振り抜かれたら、ゲームオーバーの合図。  ノアは、目を堂々と見開いて真っ直ぐに前を見つめていた。  紫電の輝きを失った双つの剣は、ノアの両手にしっかりと握られ、胸の前に構えられている。  まるでまだ勝負を諦めていないかのように、力強く。  ソロが拳を振り抜こうとした瞬間、ノアの頭上から何かが落ちてきた。  それは小さな稲妻――黄金色の電撃を纏ったミュラの矢。  その矢はノアの目の前を垂直に落下し、ノアの手の甲を抉って床に突き刺さった。  ノアの手の甲に痛々しい傷が付き、出血と共に黄金色の電撃のエネルギーが流れて光り輝いた。  ソロはノアの表情を見ていた。ノアはその瞬間、薄く笑った。  ノアはソロの肩越しにミュラの表情を見ていた。ミュラは、ノアに目で合図をしていた。  ――電撃の魔力なら、まだここにあるのだと!  ノアは傷付いた手の甲の痛みを気にもせず、双剣を順番に振り上げる。  双剣には再び電撃のエネルギーが集まり始めていた。それは黄金色の、ミュラの魔力。  傷口を通してミュラから受け取った、激しく輝く雷の光!  ソロは拳をストレートに、ノアの顔面目掛けて繰り出した。  ノアはそれを左手に握ったみゆの剣で受け止める。ソロの拳に再び電撃のエネルギーが伝わり、先程と同様に弾けて灰色の煙を噴き出した。  そして、右手に握った先端の欠けた剣を、激痛に耐えるソロの胸元へと伸ばす。  ソロは左手でそれを受け止めた。左手の甲に仕込んだ、非情なる刃で。  黄金色の電撃と紫色の電撃が混ざり、眩い光を撒き散らしながら、刃と刃が激突する。  プライドをぶつけ合い、叫び続ける二人。  やがて、激し過ぎる電撃の力に負けて刃は欠ける。  そして競り勝った方の刃は、勢い強く相手の懐に飛び込む。  そう――欠けてボロボロになったのは、ソロの刃。  ソロは突き出した両手を掻い潜られ、もう身を守るものは何も無い。  ノアの剣はソロの胸の皮膚を貫けなかったが、ノアは構わず、ソロの胸に先端を押し当て、全ての力を解き放つ。 「紫電――轟閃衝ッッッッ!!!」  バチバチバチバババババガガガガガッッ!!  ソロの胸元で想像を絶するエネルギーが弾け、黒煙が舞った。  そして、轟音が止むと同時に、ソロは――床に膝を付いた。  ノアも同じように膝を付き、双つの剣を取り落とす。  肩を震わせて呼吸をする彼は、勝利を実感していた。 「ハァ、ハァ、ハァ……これが……俺達の、仲間の、力だ……。」  身動きが取れないノアの代わりに、ベイトが膝を付いて目を白黒させるソロの様子を確認しようと近寄る。  しかしベイトはすぐに、ソロがまだ意識を保っている事に気付いた。 「やっぱりそう簡単にはいかねぇか……おい、気をつけろ。まだ終わっちゃいねぇ。」  ベイトはボウガンを構えて警告をする。  するとソロがフラフラと立ち上がり、口から黒い煙を吐き出して震える声を絞り出した。 「……まさか、俺が……ゲホッ、ここまで、追い詰められるとはな……。  流石だ、紫電の剣士……。」  電撃で皮膚がボロボロでも、やはり近衛兵最強の称号は伊達ではない。  ソロはすぐに理性を取り戻し、ノアに向かって語りかける。  ノアも声を絞り出しながらゆっくりと返答した。 「言っただろ、あの時。……お前の刃を圧し折ってやる、ってな。  これは俺一人の力じゃない。レジスタンスの絆がもたらした力だ!」  それを聞いたソロはノアの目を見て睨み、徐々に表情を暗くする。  紫電の衝撃で焦げ付いた白い服。その破れ目から見える胸筋が微かに強張る……。 「おいノア、油断するな。奴はまだピンピンしてやがる……。」  ベイトはソロの数メートル後方で、傍らにミュラを守りながらノアに警告を投げかける。  ソロは身体の表面上はボロボロと傷付いているものの、十分に体力が有り余っているのは見て取れる。  ノアもまだ油断せずに、両手の双剣を手袋越しに強く握り直した。 「絆、だと……?」  ソロは焦げ付いた上半身を乗り出し、静かな声でノアに言う。  その声色は、今までの落ち着いたソロのものとは異なる、怒りの篭った声色だった。 「……そんなものはまやかしだ。強さなんかじゃない。いいか、紫電の剣士。  信じれば利用される、裏切られる。……それが全てだ。」 「何を、言っている?」  ソロは湧き上がる怒りを抑え込むようにしてノアに語る。  ノアはそれが理解できず、眉をしかめる。ソロはじりじりとノアに向かって歩みを進める。 「絆は毒にしかならない。絆は他人を縛り付けるだけの都合の良い鎖……。」 「お前は何を言っているんだ? さっきから。」 「……絆を捨てろ。誰も信じるな。それはお前を味方しない……どんな事があっても、絶対に。」  執拗に、ノアの言い分を否定するソロ。絆というワードを過剰なまでに嫌っているようだった。 「紫電の剣士。……お前の持つ潜在能力は一級品だ。殺すには惜しい程にな。  ……目覚めろ。真理に気付け。そうすれば、お前は俺を超える事ができる。」  じわり、じわりとソロはノアに近付いていく。  ノアは退がりながらも、黙ってソロの発言を聞いていた。ベイトはそれを危険だと判断し、叫んだ。 「そいつの言う事に耳を貸すな、ノア! 戦え!」  ベイトはボウガンの矢弾を放ち、ソロの肩に命中させる。  それを合図にノアはソロの懐に飛び込み、両手を交差させ、外側に引き裂くように双剣を振るう。  ソロは斬撃を受けながらも2本の剣の刃の根元を掴む。  その力は強く、ノアの両手と剣を取り合った力比べをするような姿勢になった。  ギリギリとノアの腕の筋肉が軋む。  それに耐えながらも剣を離さないノアに、ソロは顔を近付けて話し掛ける。 「お前の力はお前のものだ、紫電の剣士。仲間などというものは幻だ。思い出せ!  一体何人の人間が裏切りを働いた? 死の危険を前に、ゴッディアへと寝返った?  ……そうだ、人間は裏切る生き物。お前の仲間も……あの男も。あの女も。いつ裏切るか分からない。  いや、あるいはもう裏切っているのかもしれない。拷問狂あたりに言い包められ――」 「違う!」  ノアは叫び、双つの剣の柄を離す。そしてガラ空きのソロの腹部へ頭突きを入れる。  そして一瞬だけ怯んだソロの腕を内側から取り、捻る!  遠心力により、ソロが刃を掴んでいた剣は取り落とされ、床に落下して音を立てた。 「確かに、レジスタンスの中に裏切り者はいた。だけど、それが全てじゃない。  いや、俺は、誰が裏切り者だろうと変わらない! 俺はあいつらを信じてる。  ミュラも、ベイトも! 今は俺の大切な“仲間”だ!!」  啖呵を切るノア。内心は裏切り者の脅威に怯えつつも、ミュラとベイトの事は心から信じていた。  それは嘘偽りの無い事実だった。 「信じている、だから、守る――それがお前の信念か?」 「そうだ。」 「……それが誤りだと言ってるんだ! お前の仲間たちは、所詮お前の足枷だ。  お前は自分自身で、強くなる可能性を殺している!」 「悪いけど、そんな気はしない。あいつらとの絆があれば、俺は何処までも強くなれる。」 「絆、絆、……ふざけるなよ。俺は絶対に認めない。」  剣を拾い上げたノアと体勢を立て直したソロは、斬り、殴り、ぶつかり合いながら言葉を放ち合う。  言葉を重ねるたびに、ソロから冷静さが消えていくようだった。 「さっきからお前は何を言ってるんだ? 俺が仲間との絆を感じようが、お前には何の関係も無いだろ。  ソロ――近衛兵の仕事は、俺たち――罪人を刈る事じゃ無かったのか?」  ドス、ドスッ!  ノアの両手の太刀筋が同時に同じ方向へ大きな袈裟を描いた瞬間、ソロの背中に弓の矢とボウガンの矢が突き刺さる。  ソロの皮膚の防御力は未だに強く、いずれも大きな傷にはならない。  ソロはノアと距離を取ると、背中に刺さった2本の矢を引き抜いて投げ捨てる。  そしてノアを、激しい怒りの篭った暗い目で睨み付けた。 「近衛兵の仕事? 罪人を刈る事? ……俺には興味が無い。」  ソロは、中途半端に焦げ残った首のスカーフを解き、上半身の服を破り捨てる。  露わになった上半身は凄まじい筋肉の量を誇っており、黒く焦げ付いていてもなお生命力を感じさせる。  そして心臓付近には異常に血管のようなものが浮き出ており、不気味に脈動しているのが見えた。 「俺の存在意義は――この世界に蔓延る『絆』という吐き気を催す紛い物を全てブチ壊す為にある。  思い知れ、紫電の剣士。お前を縛る鎖の汚さを!」  ソロの表情は豹変し、冷静さはもう何処にも残らない。  怒りに狂い、目を血走らせた殺人鬼――その姿だった。  ソロはノアに飛び掛り、逞しい肉体を怒らせて攻撃を仕掛けてくる。  拳に蹴り、豊富な体術。拳法家のような整った型は無いものの、縦横無尽に飛ぶ打撃がノアを壁際へと追い詰めていく。 「くっ、な、何だと……!?」  ノアは焦り、ソロの拳を右手の剣で防ぎ、空いた脇腹へとみゆの剣を突き出す。  その剣先には僅かながら紫電の魔力が籠められており、ソロの死角で紫色の光を放出して炸裂した。  しかしソロはそれに1ミリも怯まず、右手一本でノアの首筋を掴む。  そして胸に浮き出た血管を大きく脈動させ、ノアを天井へと放り投げた。  ノアは天井にキスができるほどに近くまで投げられ、そのまま身動きが取れず落下する。  ソロは跳躍し、その落下中のノアの腹部に手刀を食らわせた。 「ぐぅあっ、……ッ!!」  ノアはアタックされたバレーボールのように勢いよく床に叩きつけられ、コンクリート造りの上をバウンドした。  2本の剣もそれぞれ手の届かない別の場所に弾き飛ばされる。  ノアは声にならない悲鳴を上げ、全身を襲う痛みと耐えた。 「お前の仲間……お前が守りたがる相手……。」  ソロはノアを打ち落した後に綺麗に着地し、振り返った。  その方向には、ミュラとベイトが射撃の姿勢を取っていた。 「……奪ってやる。」 「駄目、だ……やめろ……っ……!」  ノアは手を伸ばすが、2人に向かうソロの足元にも、剣の柄にも届かない。  ソロは走り、ベイト達との距離を一気に埋めていく。  ミュラとベイトの放つ矢が次々とソロへ向かって乱れ飛ぶ。  しかしソロは正面からそれを避け、掴み、次々に打ち落とす。  一発も決定打を与える事ができないまま、すぐ近くまで接近を許してしまう。  ソロの腕がミュラの顔へ向かって伸びた。 「させねぇ!!」  ベイトがミュラを庇うように前進し、改造ボウガンでソロの顔面を殴り付けようとする。  ソロはそれを片手で受け止めると、ベイトの右脇の下に右腕を伸ばし、ベイトの身体を横に回転させるように弾いた。  そして右脚を高く振り被り、ベイトの背中へ重い蹴りを加える! 「うがぅぁっ!!?」  ベイトはその勢いで5メートル先の壁まで吹き飛ばされ、コンクリートの壁へ頭をしこたまぶつけて墜落する。 「ベイトさんっ!!」  ミュラはベイトを案じて叫ぶが、目の前に迫る近衛兵ソロ。  急いで弓を引こうとするもその腕を取られ、反対側に捻られ――  ゴキッ  嫌な音が鳴る。 「ひぃあああぁぁあぁぁぁっあああぁっ!!!」  ミュラは、右腕の関節を折られた痛みに、恐ろしい悲鳴を上げた。  ソロはそんなミュラの右腕を容赦無く掴みながら、倒れ伏すノアへ向かって言葉を投げ掛ける。 「どうした? 守れるものなら守ってみろ。お前が大切にしている仲間とやらを。」 「や、めろ……やめろぉぉっ!」  痛みを耐えながら床を這い叫ぶノアへ、ソロは首を振って軽蔑の視線を注ぐ。 「やめろ? ……そんな馬鹿な事は無い。お前が真に強ければ、そんな愚かな発言はしない筈だ。  捨ててしまえ、絆など。笑って、この女との別れを告げろ。」 「ふざけるな……ふざけるなあぁぁぁっ!!」 「お前にはできる。その道が、お前を正しい方向へと導く。お前は孤独。絆なんか必要ない。  仲間なんて偽りだ。簡単に見捨てる事ができる。自らの内に眠る本性に気付け、紫電の剣士!」 「やめて。」  ノアを誘うソロの残酷な声に、ミュラの制止が入る。  彼女は苛烈な痛みに涙を堪え、膝を付きながらも眼前の敵を睨み返す。 「ノアさんはそんな人じゃない。それ以上、ノアさんに余計な事を言わないで。」  ミュラは、折れた右腕を握るソロの腕を、左手で握り返す。  そして持てる限りの全ての力を籠めて、ソロに反抗する。 「ノアさんは、優しくて、いつも仲間の事を考えてくれるいい人だから。  表面上は無愛想でも、いつも、どんな時も、私達の事を考えて戦ってくれるから……。  だから、ノアさんは、仲間を見捨てるような事はしない。何を言われようとも、絶対に、絶対に。」  ソロはイライラと怒りを溢れさせ、ミュラの腕を握る力を強める。 「お前には何も聞いていない。黙れ。」 「いいえ、黙らない。黙るのは貴方。……レジスタンスは、いろんな人がいて、それぞれ別々の理由を持って戦ってる。  だから考え方が合わずに裏切る人だって、当然出て来る。残念だけど、それも仕方ない事だと思う。  私達は――私達のレジスタンスは、みんな、自由なのだから。」  ミュラは歯を食い縛り、ソロの腕を握ったまま、立ち上がる。そして、ソロの目線に追い着こうとする。 「ノアさんは、一番最初に裏切り者を探そうって言った。……それは、裏切り者を殺して口封じしよう、報復しようって意味じゃない。  裏切り者を捕まえて、その理由を聞いて、何時間、何日かかっても説得して……分かり合うため。  ノアさんは、誰よりも人を信じてる! 貴方なんかには、分からない……!」 「黙れっ!」  ソロは激昂し、ミュラの顔を殴り飛ばす。  ミュラは再び膝を付き倒れそうになるが、右腕を掴まれたままなので倒れるに倒れられない。  ミュラはそれでも喋るのを止めず、ソロの目を真っ直ぐに見て言葉をぶつける。 「レジスタンスを、ノアさんを侮辱しないで! 貴方は何も分かってない!」 「うるさい黙れ、調子に乗るな……!」 「絆は私達を強くする力。貴方にそれを否定させない……私達は、独りじゃ無い――ッ」  言葉の途中で、再びミュラの顔が殴られる。  ミュラの口から血と共に前歯が飛び、床に落ちた。  頬を赤く腫らし、鼻から血の筋を流した不恰好な顔でも、ミュラはまだ語るのを止めない。  そこまでして、彼女は何故止めないのか。  ミュラにとって――この瞬間口を閉ざしたら、大事な人をどこか遠くに持っていかれそうで、堪えられないから。 「いい加減にしろ。まだ分からないか? お前達の信じる絆などまやかしだ! 真実を蝕む毒だ!  それが理解できない? お前達は何も考えずに生きてきたのか。ふざけるな、恥を知れ!」 「違う、貴方は……間違ってるっ……!」 「何処に間違いがある? 傷付き、不甲斐無く倒れるお前の仲間達は、俺一人を退ける事もできない。  お前達がリーダーと呼ぶ男はそこで寝ている。全体の統率を乱す馬鹿な男の暴走を止める事すらできていない。  そして何より、お前達の中に潜む裏切り者。救い様が無いな、反吐が出る!」 「違う……違う……皆を、侮辱するな……黙れ、黙れぇっ!」  ソロはミュラの、女の子の顔にすら容赦無く、拳を振り抜く。  ミュラの額から血が滲み、溢れて流れ、顔をぐしゃぐしゃに汚していく。 「よせ、ミュラ! もう何も言わなくて良い、やめろ!」  ノアは耐えられなくなり、目を瞑ってミュラを止めようと叫ぶ。  伸ばす手は届かない。数メートルの距離の先で嬲られる、大切な仲間を救う事ができない。  ミュラは、いくら殴られても、目を背けたくなるほどに酷く顔面を傷付けられても、ソロの腕を掴んで離さない。  諦めて、倒れれば楽になれるのに。ソロに抗議し、殴られ、それでもみっともなくしがみ付く。 「その汚い腕を離せ! 虫唾が走る!」 「……みんなを……ばかにするな…… ……ノアさん、を、侮辱、する……な……ぁ……!」  殴られるたびに、ミュラの顔の傷から血が飛び散り、それは床や、ソロ自身の身体を汚していく。  ミュラはもう血と涙で目も開けられないぐらいにボロボロだった。  ノアは言う事の効かない身体を引き摺り、床を叩いて狂ったように叫ぶ。 「やめろ、やめろやめろやめろもういい、何も言うんじゃない!  ……俺は大丈夫だから。絶対に、お前達を見捨てたりしないから……!!」 「あ……ぁ……。のあ、さん……。」  ノアは全身を痛みを叱り飛ばし、無理矢理立ち上がろうと足掻く。 「ソロ、もういいだろ、やめろ、やめろって言ってんだ!!  殺すなら俺からにしろ! 今そっちに行く、ミュラを放せよ!! なぁ、聞いてんのか!?」  ソロはノアを一瞥すると舌打ちをし、もう1度ミュラの顔面を殴る。また血の飛沫が散った。  そして、掴んでいるミュラの折れた右腕を高く持ち上げる。身長の低いミュラは足の裏が床から離れ、宙吊りのようになる。  ミュラはぐったりとしていて、口をパクパクさせるだけでもう何も喋れなかった。  ソロはそれを冷ややかに見ると、まるで飽きた玩具を投げ捨てるように、ノアの這い蹲る方向へ向けて放った。 「ミュラぁぁっ!!」  ミュラの小さな身体はノアの目の前でバウンドし、仰向けに崩れ落ちた。  ノアは身体を引き摺り、表情を覗き込む。  ついさっきまでそこにあった――ミュラの幼いながらも落ち着いた、仄かな決意に満ちた顔は、もう見る影も無く歪んでいた。 「ソロ、貴様、貴様――うわあああああぁぁぁあああぁっッ!!!!」  ノアは身体の悲鳴を無視してふらふらと立ち上がり、湧き上がる怒りを叫びに変えてソロへぶつける。  手元に剣は無い。だが、玉砕を覚悟して、ノアは駆け出そうとした。  その時、荒れ果てた部屋の中へ、2人の人影が飛び込んでくる。 「止まりなさい、近衛兵ソロ! それ以上の暴虐行為、真なる神はお許しになりません!」 「皆さん、大丈夫ですか……!」  現れたのは、テイクと花蓮だった。  2人は室内の惨状に気付くと、すぐに対応を開始する。  テイクはソロの前に躍り出て十字架を構え、花蓮は負傷者の容態を診る。  ソロはイライラと首を振り、怒りの形相でテイクを見た。すぐに排除しようと戦闘態勢を取る。 「おい、近衛兵。まだ俺は生きてるぜ……こっちを見ろよ。」  その時、不意にソロから離れた位置で別の声が響く。  ソロとテイクは同時にその方向を向く。声の主は、意識を取り戻したティアだった。  その横で、互いの身体を支えあいながら、エガルとリスナも起き上がっている。 「……俺が寝てる間に随分、好き勝手言ってたみたいだな。……そいつらに手ェ出してんじゃねぇよ。  俺がリーダーだ。全ての責任は、俺が取る!」  意識を取り戻したばかりでまだ全身の傷が痛むだろうに、ティアは胸を張って親指を立てる。  新たに駆け付けた戦士と、蘇った戦士。脅威ソロに相対する戦力は、まだ尽きない。  例え勝ち目が無い戦いでも――誰も諦めていない。 「ミュラちゃん……!? っ、ひどい……!」  花蓮が慌てふためいて、倒れるミュラの下へ駆け付ける。  花蓮はミュラの怪我を目にして息を呑んだが、すぐに治療士の顔になり、処置に入ろうとする。  そのすぐ前で、よろめきながら姿勢を維持しようとするノアが居た。  花蓮は彼に対しても限界を見抜き、ドクターストップをかける。 「ノアさん、その身体では無茶です、休んで下さい!」 「駄目だ! 俺は、アイツに……。」  近衛兵ソロは、テイクとティア達に気を取られてノアには目もくれない。  ノアは悔しそうに歯軋りをし、それでも前へ進もうと足掻く。 「……ノア、さん……。い、行かないで……。」  ノアは背中越しに擦れる様なミュラの声を聞き、振り返る。  ミュラはボロボロに汚れた顔を拭い、目も見えないのにノアの姿を探して懸命に語りかけている。 「ミュラ。大丈夫だ……俺は、何処にも行かない……俺はいつまでも、変わらないよ。」  ノアは、ミュラの不安な気持ちを宥めるように、同じ言葉を繰り返す。  しかしミュラは小さく首を振った。 「……違い、ま、す。……そうじゃ、なくて。…………聞いて。……あの日の、真実。伝え、なきゃ……。」  ノアは目を瞑り、悲しみを堪える。彼は、ミュラが錯乱して支離滅裂な事を口走っているのだと思った。  そして花蓮に「ミュラを頼む」と合図をして、2人に背を向けた。 「待って! ……全部、思い出したの……。“お兄ちゃん”!」  ミュラはノアの背にしがみ付くように、叫んだ。  ノアは再び立ち止まる。ミュラは追い討ちをするように、言葉を紡ぐ。 「やっと。……やっと、思い出せた。……私の側に、ずっといてくれたんだね、お兄ちゃん。  ……時間が、無いの。私はもう、たすからない、から……聞いて。」  ノアは首を振る。信じられないという風に、もう1度首を振る。  そして振り返り、ミュラを諭すように優しい声で話す。 「……そんなはずは無い、ミュラ。俺の家族は、とっくに全滅した。きっと、混乱してるんだ……今は落ち着いて、ゆっくり休んでくれ。」  ノアはそう言いながら、家族の思い出を回顧する。  訳も分からないうちに化け物に襲われ、散り散りになってそれっきり――それが全て。そう思っていた。  ミュラは上着を捲り、そこに手を入れてガサゴソと探るように動かす。  プツリ、と服の内側に縫い付けている糸が切れるような音を立てて、ミュラはそこから灰色の塊を取り出す。 「これ……ずっと、お守り代わりに持ってた……お兄ちゃんの……。」  その塊は、古い丈夫な灰色の布だった。触れてみると、中に何かが包まれている感触がする。  花蓮が手伝いながらその包みを解いていくと、手の平で握れるサイズの、薄っぺらい、薄汚れた金属片が出てきた。 「……一体、これが何だって……?」 「…………あっ!」  花蓮は、何かに気付き驚きの声を上げる。  そして立ち上がると、少し離れた場所に落ちている――ノアの、先端の欠けた剣を取りに走った。 「か、貸して下さい……!」  そして花蓮は金属片を受け取ると、ノアの剣の先端に、それを当てる。  汚れの度合いや、細部の磨耗具合は異なるものの――欠けた部分の形状が、ピッタリ一致した。  並べて置くと、この2つはかつて同じものだったかのように、猛々しさを放つ。 「そんな、まさか……こ、こんな事って……!!」  ノアはがくりと両膝を付いて倒れ、その様子を穴が空くほど見つめる。  ミュラの持つ金属片は示したのだ。――ノアとの関係を。 「……あの日、何処かで運命が捻じ曲がって、……おかしくなったけど、やっと、元に戻った……。  お兄ちゃんは生きてた……! 生きて、私を守っていてくれたんだ……!」  ミュラは傷だらけの不恰好な顔で、無理矢理笑顔を作る。  涙が、血を洗い流していく。  ノアは言葉を失った。  そして、頭を抱えて自らの記憶を疑った。……一体、何がここまで互いの運命をおかしくしたのか。  彼にはそれが分からず、受け入れられなかった。  しかし、ミュラはようやく思い出したのだ。  死の淵に立ち、終わりを覚悟したこの時に。  記憶の扉は、抉じ開けられた。  2人を引き裂いた“空白の真実”が、その姿を現し始めたのだ。  第42話へ続く