Another World @作業用BGM紹介:http://www.nicovideo.jp/watch/sm6932916(ポポロクロイス物語 より 凍れる草原) 第45話.『哀悼の降り積もる情景』 ―――  4月23日 12:30 ―――  Another World、雪原エリア。  山岳を越え、北東に位置するこの地は、特殊な地形の影響により春だというのに冷え込みが厳しい。  特に4月や5月そこらでは、未だに大地一面が分厚い雪に覆われている。  真夏でも全て溶けきる事は有り得ない永久凍土。極寒の地として名を馳せていた。  そしてこの日は、正午を過ぎた辺りから天気に曇りが見られ、はらはらと小粒の雪が散らつき始めていた。  真っ白な雪の中、疎らにある枯れ木や蒼い旗などの目印を辿った先に、ドーム状の建物が聳えている。  屋根はすっぽり雪を被ってなのか真っ白で、まるで雪の玉をくり貫いて造られたような姿をしていた。  イグルス率いる4人組は、ようやく帰還したと実感する。  彼女らが拠点とする“雪原エリアの隠れ家”に。  ドーム状の建物には、入り口と呼べるようなものは小さなドア1つしかない。  いくつかある窓には全て金属の板が打ち付けられており、余所者を受け付けはしない堅牢さを感じさせている。  イグルスが凍りついたドアノブを尻目に、一定のリズムでドアをノックする。  それは本人達にしか分からない、合図のようなものだった。  この合図が為されない場合、絶対にドアを開けてはいけないというものだ。  ……しかし、数分経っても何の変化も無い。  イグルス一行は不審に思う。本来ならば、内部に居る筈の同士がドアの鍵を外してくれる手筈なのだが。 「……まさか。」 「いや、トレアに限ってそんな馬鹿な事は無いだろう。」  嫌な想像をするハットと、余裕を持って構えるイグルス。  希更が周囲をキョロキョロと見回し、建物の外周をそろりそろりと歩く。  どこを向いても雪ばかりだが、その中に見慣れた人影を見つけ、手を上げて駆け寄った。  その警戒を解いた希更の様子を見て、向こうの人影もこちらに歩み寄ってくる。傍らには一匹の黒い犬もいた。  人影の正体は、まだ小さな女の子だった。雪国に相応な防寒着を着て、白い息を吐きながら希更の名を呼ぶ。  雪に馴染むような透き通った金髪を肩の下まで伸ばし、美しい白い肌を引き立てている。 「おかえり。希更さん、ハットさん、おねえちゃん。」  その子の無邪気な声を聞いて一息つくイグルス。呆れたような表情をして嗜める。 「トレア。どうして外に出ているんだ。あれほど危ないと言っただろう。」  そう言って、彼女は自分を「おねえちゃん」と呼んだその子に密着し、頭を抱くように撫でた。  今までの凛々しさに満ちたイグルスの雰囲気ががらりと変化したようだった。 「……お墓、立てたの。」  トレアが悲しそうな声で報告する。隣にいた黒い犬も悲しそうに鳴き声を上げた。  イグルスとハットはそれを聞いて、トレアが指差した方を見る。  そこには、寄せ集められた雪の塊に太めの木の枝が立てられ、子供ながらに一生懸命名前を書いた簡素な墓が立っていた。 「そうか……ドロップが……。」 「うん。トローチとドロップが交代で見張りをしてくれたんだけど、昨日、出てきた敵に……。」  トレアの隣の黒い犬が再び悲しそうな声を上げた。  首輪にはトローチと書かれている。  この拠点を守っていた2匹の番犬、トローチとドロップ。  その内の片割れが影の神兵と交戦し、名誉の戦死を遂げたらしい。 「よくトレアを守り抜いてくれた。……ありがとう。」  イグルス達は勇敢な番人であったドロップの冥福を祈り、トレアを抱き締めた。  そんな彼女を、ハットと希更は微笑ましく見守り、キリューは無表情で見つめていた。  これが、イグルスが仲間以外には決して見せない“姉の顔”というものなのか。 「私達が帰って来たからには、もう大丈夫だ。さあ中に入ろう。  トレアに新しい仲間を紹介したいからな。」  トレアは明るく返事をすると、イグルスの後ろに居る灰色の服を着た少年に目線を移した。  決まりが悪いのか、キリューはトレアが見つめてくるのに気付くや否や顔を逸らす。  すると、トローチが少年に近付き、においを嗅ぎ始める。  ますます、キリューは居心地悪そうに縮こまるのだった。 ―――  外と比べて格段に暖かい拠点内部。  レンガの壁で出来た部屋に絨毯が敷かれ、古風な暖炉も設置されている。  極寒の地ならではの文化が根付いているようだ。  全員が部屋着に着替え、広々とした部屋でようやくくつろぎ始める。  トレアは厨房に残っていたスープを温め、外から来たイグルス一同に配膳した。 「これはお気遣いありがとうございます、トレアちゃん! いただきます!」  真っ先に手を付けたのは希更だった。それに続いてハット、イグルスが食べ始める。  しかし、キリューはなかなかスープに手を付けようとしない。  室内で灰色のマントを脱いだキリューは比較的ラフな格好になってはいるが、それでもまだ全体的に地味な色合いだった。  イグルスに促されてフードを取ったことで、彼の上品な色合いの茶髪が露わになって、多少なりともマシにはなったのだが。  いつまで経ってもスプーンを手に取ろうとしないキリューの目を、興味深そうにトレアが覗く。 「どうしたの?」  そう言うと言葉に詰まり、えっとえっと、と身振りでイグルスに助けを求める。この少年の名前を呼びたいが、まだ教えてもらっていないからだ。  イグルスはそれを待っていたかのように話を切り出す。 「彼の名前はキリュー。今日から私達の仲間だ。」 「キリューさん! はじめまして!」  トレアはキリューに面と向かって、歳相応の明るい挨拶をする。 「私はトレア! 雪原エリアレジス……ちがった。イグルスおねえちゃんと一緒に戦ってる仲間だよ。よろしくね。  このスープは今朝私がつくったの。体あたたまるから、ちょっとでもいいから食べてみて。」  トレアの横でトローチが元気良く吼える。  キリューは目を伏せ、再びフードを被ろうとする。  本当に気まずいのか、自分から何も喋りたくないといった様子だった。  イグルスが助け舟を出す。 「実はな、キリューは身体の調子が悪くてな。食べ終わったら少しだけ休ませてくれ。その後なら、たくさん話をしてもいいから。」 「うん、分かった。キリューさん、待ってるね!」  トレアは元気良く席を立ち、厨房へ片付けをしに行く。トローチもその後を追従していった。  その背を見届けてから、キリューはようやくスプーンを手に取る。 「……。」 「遠慮すんなよ。あの歳で美味いんだぞ、トレアの料理は。」  手早く皿を空にしたハットは、キリューをからかうかのように声をかける。  キリュー自身、その好意を受け取る事は悪くないと考えていた。しかしどこかに戸惑いと気恥ずかしさがあり、踏ん切りが付かないでいるのだ。  彼は口を閉ざしてはいるが、その表情に感情が全く出ないわけではない。  と言うより、イグルスらと行動を共にしてしばらく時間が経ち、彼の奥深くに眠っていた感情というものが、表に出始めていた。  その証に……キリューはスープを一口啜ると、戸惑いながら微笑みを浮かべていた。 ―――  トレアのもてなしも終わり、早々にイグルスはキリューを連れて自室へ引き篭もった。  そのため、広間にはハットと希更が残された。  ハットは広くなったソファを占領し、だらしない体勢で休む。 「……やっぱ落ち着くな、ここは。」 「懐かしいですか?」 「そうだな。……っても、まだ数日しか経ってないか。アイツと行動してると本当に時間を忘れちまう。」 「此度の作戦はやり応えありますからね!」 「おいおい……。俺はもう限界だ、ハードすぎる。悪いけど、俺は准尉やアイツみたいに前向きじゃねぇんで……。」 「それがハットさんのいいところじゃないですか! いつも冷静な状況判断、頼りにしております。」  ハットは溜め息を付くと、崩れ落ちるように横になった。  希更は立ち上がり、背伸びをする。武装自警団所属の彼女は、女性にしてはそこそこ背が高く、室内だと更に大きく見える。  しかも、暖かい部屋なので分厚い軍服を脱ぎ、薄手の部屋着になっているため、豊満な胸部が強調されて目のやりどころに困りかねない。  希更は厨房からバスケットを抱えて出てくるトレアを見つけ、幼子を愛でるような優しい声をかける。 「トレアちゃん。何か手伝う事があれば遠慮なく言って下さい!」  トレアからしてみれば彼女はかなりのお姉さんの筈なのだが、性格上、敬語を使って話す事にしているようだ。  トレアは身長の高い希更を見上げるようにして、大丈夫だよ、と笑顔を見せる。 「私達がいない間はどうでしたか? 色々、大変だったでしょう。」 「んー。そうでもないよ。やる事はそんなになかったから。外に出れないから退屈だったけど!  建物の中じゃ、トローチとドロップも元気に遊べないし……。」  ドロップの名前を口にして、その死を思い出してしまったのだろう。  トレアは唐突に口を噤み、バスケットの持ち手にぎゅっと力を込めた。 「トレアちゃん……すみません。私達が……。」 「ううん、いいの! 希更さんは希更さんの仕事があるでしょ。それなのにおねえちゃんの手伝いをしてくれて、ありがとう。  私はスープを作って待ってることしかできないから……おねえちゃんのこと、よろしくね。」 「トレアちゃんっ!」 「わっ!」  希更は、トレアが無理をして笑顔で振舞おうとする姿勢に胸を打たれ、彼女を抱き締める。  トレアは驚いてバスケットを取り落とした。 「……トレアちゃん本当にいい子! 希更は頭が上がりません!」 「わわわっ、離してー。」  希更に抱き締められて目をパチクリさせるトレアの周りを、トローチがくるくると回る。  2人と1匹がそのように騒いでもなお、ソファで不貞寝を決め込むハット。  数分経ってようやくトレアは解放され、勢いで尻餅を付く彼女をトローチが支えた。 「トレアちゃんは休んでいて下さい。私がいる間は、私もじゃんじゃん働きますから!」  希更はトレアが床に落としたバスケットを拾い上げる。中には洗濯物だろうか、白や青のタオルがたくさん入っていた。  トレアはトローチの背に座りながら足をじたばたさせ、立ち上がろうと足掻く。 「いいよ! それは私がやる!」 「大丈夫ですって。お洗濯ぐらい、私にも出来ます!」  希更が持ったバスケットを取り返そうと、トレアは希更の腰にしがみつく。  しかし希更は頑なにバスケットを譲ろうとしない。  次第に、トレアの力が強くなっていく。維持でもバスケットを取り戻したいようだ。  最初は希更もトレアが遠慮しているものだとばかり思っていた。だが、意外な執着を見せるトレアに、何か異様なものを感じずにはいられなかった。  希更はバスケットの中身をまさぐり、タオルの海を掻き乱す。 「や……やめてっ!」  今まで明るく振舞ってきたトレアが、必死の形相で叫んだ。  それと同時に、希更は1枚の――夥しく汚れた大きめの布を引っ張り出す。  元はベージュの綺麗な色の布のように見えたそれは、茶色の汚れがこびり付いてぐちゃぐちゃになっていた。  ……希更は、その汚れがある種の生々しい異臭を放っている事に気付いてしまう。 「ト……トレアちゃん、これ……?」  言葉を詰まらせる希更。トレアはその布ごとバスケットをひったくるように取り返し、抱きかかえた。 「何でもないよ……ちょっと、こぼしちゃって……料理……。」 「こぼした、って……。」 「あ、あはは……汚いからね、私が洗ってくるよ……。」  トレアは顔を伏せながら、逃げるように早足で洗面所へと去っていった。  トレアの性格上……単に料理をこぼしただけなら、隠さずに正直に言うだろう。  それは希更にもよく分かっている事だった。……つまり、トレアが隠し事をしている事は明白だった。  仲間の前でも気丈に、明るく振舞おうとするあの子が隠す事とは……? 希更は、想像したくない事を想像してしまう。 「……トレア……!」  希更が振り返ると、ハットがソファから起き上がっていた。 「あいつ、今まで無理して……クソッ!」  物凄い形相だった。握り拳をわなわな震わせ、歯軋りをして……まるで、今まで溜め込んでいた怒りが噴き出したかのよう。 「どういう事ですか? トレアちゃんは、なんであんな嘘を……!?」  希更が答えを求める。するとハットは、ソファにかけてあった布を乱暴に引き剥がした。  その下に――赤錆色と茶色を混ぜたような染みが広がっていた。  まるで、さっきの布にこびり付いていた汚れのような……。  希更は、嫌な想像が脳内で結び付き、息を呑んだ。  あの汚れは……トレアが隠そうとした事は……。 「……吐血、だ。」  ハットが、震えながら口にした。 「アイツには……トレアには、“トラウマ”がある。忘れたくても忘れられないに決まってる……!  今まで、俺たちが外に出ている間、アイツは一人で……!」  希更は、詳しい事は知らない。しかし……イグルスとハットの会話から、その影は断片的に把握している。  かつてここが、雪原エリアレジスタンスの拠点だった頃。  突然現れた狂人1人の手によって、数十人いた生き残りが一夜にして惨殺され――壊滅した事件。  その生き残りが、ハットとトレアの2人だ――と。 「一人でこの拠点で過ごして……あの夜の惨劇を思い出して……だけど忘れようとして、抗って……身体がそれに耐え切れなかったんだ。  アイツは誰よりも苦しんでいた! 無理に明るく振舞って、それを隠そうと……!!」  ハットの語尾は乱れて言葉にならない。  彼の怒りの感情は、ほとんど自分に対して向けられていた。 「一人にするべきじゃなかった!! 俺が真っ先に気付いてやるべきだったんだ!  目先のメリットばかり計算して、アイツの気持ちを疎かにしていた……!!」  ハットはテーブルに何度も何度も拳を打ち付ける。希更はそれを止めようとしなかった。  やがて、ハットの手が赤く腫れて、ようやく彼は落ち着きを取り戻す。 「希更准尉。」 「はい。」  ハットは、やるせない気持ちを抱えながら、横で佇む希更に問いかける。 「イグルスは……。トレアが姉と慕うイグルスは、俺の目的に気付いてると思うか?」  希更は返事をしない。そんなもの、彼女に分かるわけが無い。  しかしハットは、答えを待たずに続ける。 「トレアをあの地獄から救い上げたのは確かにイグルスだ。アイツがいなきゃ、トレアの心は完全に壊れていたかもしれない。  ……それは、俺も感謝している。アイツは恩人だ、間違いない。」  ハットは、天井を見上げた。微かに揺れているオレンジ色の明かりを目で追う。 「アイツの……世界を救いたいという考えは、確かに正しい。トレアもそれを望んでいる。  だからこそ俺はアイツに協力して、こうして今ここにいるんだ。……お前もそうだよな?」 「はい。私も、気持ちは同じですよ。」  希更にはハットの苦悩が分からないが、志は間違いなく同じだった。 「……だけど俺は、あの悲劇にケリをつけなきゃならない。そこだけはお前達と違う。  世界を救えれば、他はどうなってもいいと考えられるほど……クールにはなれない。」  希更は、何か口を挟もうとして、やめた。  ハットという男は、完璧な答えを求めて計算を続ける男。  その彼が出した結論が……仲間といえども他人の意見一つで変わるわけが無い。 「雪原エリアレジスタンスの皆を殺して……トレアの心を壊したあの男を、俺の手で葬る。  それが俺の出した答えだ。そのためにイグルスとの意見が食い違うなら、それも仕方ないだろうな。」  希更は、何も言い返さない。  だが、一言だけ……せめてこれだけは伝えようと、素直な気持ちを呟いた。 「ハットさん。私は……最期の時まで、あなたと仲間でありたいと、そう願っています。」 「……忘れてくれ准尉、こいつは全部独り言だ。」  ハットはそれだけ言い捨てると、再びソファに横になった。  トレアの涙や苦しみが染み込んだソファに。  希更は、彼の居座るソファが見えない位置の椅子に座り、無言で壁を見つめた。  暖炉が燃える乾いた音だけが、沈黙を中和し続けた。 ―――  イグルスの部屋。  ぎっしりと資料が詰まった本棚に、整ったベッド、机の上には倒している写真立て。  その他、黒を基調とした家具や小物が点在しているだけで、余計なものは置いていない質素な部屋だった。  部屋の中央で、イグルスはキリューの身体を点検していた。  今までの旅路でどこか負傷していないか、体調に変化はないか……細々としたチェックを、イグルスが一人で行っていた。  そのために、ほとんど裸にされたキリューは彼らしい無表情で、淡々と治療を受ける。  治療といっても、イグルスが使うのは治癒魔法であり、治療士の手技のような繊細なものではない。 「……大きな異常はなし。着ていいぞ。」  全身を隅々まで検査された後、キリューは用意された服を着る。  それは、年頃の少年が家の中で着るような、簡素な普段着だった。  しかしこれまで、灰色のマントなど、地味で味気ない衣服ばかり身に纏っていたので、珍しく見える。 「うん……似合うな。」  無表情を保ちながらも戸惑いを見せるキリューの瞳を、イグルスはまじまじと観察する。  用意したはいいものの、実際に着せてみた普段着が思いの外似合っていた事に感心したらしい。  イグルスにとって今のキリューは、わずかだが、心が開いてきているように見えた。  特に表情が、灰色のマントを被っていた時と比べると見違える。  服飾の色彩効果は馬鹿にするものではないな、と内心で微笑んだ。 「楽にしていいんだぞ。ここは私の部屋だ。他の誰も来やしない。不安な事、心配な事……何でも話して欲しい。」  イグルス自身も愛用のコートを、部屋の隅に立っている気取ったデザインのスタンドにかけ、ぴっちりめの部屋着で落ち着いている。  ここまで警戒心の取り払われた彼女を見るのは珍しい事かもしれない。  キリューは視線を部屋中に回し、三度ほど往復させる。  そして項垂れ、イグルスと目を合わせないようにして、口を開いた。  ここに来るまで、仲間内ですら口を利こうとしなかった彼が、口を開いた。 「……僕は…………“誰”……なんだろう…………。」  キリューの声は、とてもか細く、年頃の少年にしては甲高いトーンを伴って吐き出された。 「不安か? ……いや、聞くまでもないな。」  自分の立ち位置が分からず、それでも戦い続けなくちゃいけない不安な気持ち。  キリューが言葉にせずにずっと抱えている気持ち……。  イグルスはキリューを見つめ、数日前の記憶を辿った。  夕闇。地面に倒れ伏すボロボロの人影。息も絶え絶えで、会話もままならない。  私の治癒魔法で命を救い上げることはできたが、何があったかを聞いても曖昧で、その人物の正体すら分からない。  だけど、これだけはハッキリ覚えている。  その傷だらけの人物――キリューがあの日、私に訴えかけた、唯一の言葉を。  “帰らなきゃ。”  イグルスは眼鏡を直し、腕を組む。  キリューはどうやら記憶を失っていて、自分のことすら分からない。  しかし、帰る場所があるらしい。  できる事なら、積極的にその手伝いをしてやりたいところだ――が。 「貴様が何者かは、貴様自身が思い出すしかない。他人を当てにしてはいけない、とだけ言っておこう。  ……まあ、私にできる事なら協力はするが……私は他にやるべき事があるからな。」  冷たさを装い、イグルスは言う。彼女は慎重だった。  今のキリューの状態はあまりにも不安定だ。  何処に敵や危険が潜んでいるか分からない現在の世界で、自由な行動などさせられない。  キリューの過去を知っている者の口車に乗せられ、誤った道へ引きずりこまれてしまう事もあるかもしれない。  ――万が一、キリューが“重要な情報”を握っている可能性も考えると、だ。  イグルスはキリューを説得し、落ち付かせる。  キリューは初めて、震える目でイグルスの瞳を見つめ返した。 「でも、僕は…………。…………『嘘』を……。」 「……その『嘘』は、貴様自身を守るためのものだ。気に病まなくていい。そもそも、真実を知ったところでハットや希更は何も思うまい。  安心しろ。私を信じて私に力を貸してくれるなら、必ず貴様を元居た故郷に戻してやる。」  イグルスは立ち上がり、机の横に置いたバッグを開く。  そのバッグは、旅の途中ずっと持ち歩いていたものだ。希更やハットに持たせている時が多かったが、紛れも無いイグルスのものである。  そのバッグの中のものを取り出し、キリューに見せるように持ち上げる。 「私が預かっているこれも、返してやるさ。」  そう言って笑うと、持ち上げたものを再びバッグにしまった。  キリューは目をぱちくりさせ、頷く。 「……さて、貴様には別の話があるんだ。まあ身構えずに聞いてくれ。」  突然、イグルスは話の流れを変える。  まるでこのタイミングを待っていたかのように、不敵に微笑む。 「トレアのことでな。……明るくていい子だろう? 貴様が戸惑っている様子、とても面白かったぞ。」  イグルスは悪戯心たっぷりに言う。キリューは慌てて俯くが、その様子が更にイグルスの悪戯心をくすぐった。 「物怖じしない子だからな、貴様が沈黙しようと対等に接してくれるよ。  それに、あまり暗い顔しているとな、体調悪いんじゃないかと勘ぐられて更に世話焼いてくるぞ。」 「……う……。」 「トレアと一緒に居るのは嫌か? そのままだんまり会話も挨拶もせずにやり過ごしていた方が楽か? ん?」 「……い、……いや。」  イグルスは指を鳴らし、楽しそうに宣言した。 「じゃあ、決まりだ。キリュー、貴様にはトレアの遊び相手になってもらおう。」 「え……っ!?」  キリューが驚き声を上げた。彼の中で、今までで一番大きいボリュームの声だ。 「あの子には今、歳の近い友達がいなくてな。私達がここに帰るまで、共に過ごしていたのは犬2匹だ。  ……それに、その犬も片方が名誉の戦死を遂げた。トレアは今、本当に寂しい思いをしている。  次の作戦が決まるまででいい、あの子には貴様のような存在が必要なんだ。」  語り口に反し、イグルスの頼みは真剣だった。キリューが言葉に詰まる。 「無理はしなくていい。トレアの側にいて、話を聞いてくれるだけでもいい。返事を求められたら簡単に返すだけでいい。  ……頼めるか?」  キリューは唇を噛んで、複雑な表情をする。  果たしてまともに話ができるのか……不安と恐怖と、それ以外が色々と混ざって思考がこんがらがる。  だけど、トレアが寂しい思いをしていて、自分に何とか出来るなら嬉しい、という気持ちもある。  結局、イグルスの期待の表情に押し切られる形で、頷いた。 「よし。それでいい。」  イグルスは満足そうに微笑む。  すると突然、ドアをノックする音が響く。  ドア越しにトレアの幼い声が聞こえた。 「おねえちゃん、洗濯物あるー?」 「ああ。そうだ丁度いい、入ってくれ。」  ガチャッ! と元気にドアが開き、バスケットを抱えたトレアが入ってくる。  キリューは飛び退くように椅子から立ち上がった。 「あ、キリューさん! おねえちゃんとお話してたんだー。体の調子だいじょうぶ?」 「……ぁ…………う。」  突然現れたトレアに驚き、焦って言葉が纏まらない。キリューの顔が徐々に赤くなってきた。  イグルスはクスクスと笑い、彼の背を押してやる。 「トレア。キリューがな、トレアと一緒に遊びたいって言ってたぞ。」 「え? ほんと!?」 「う……。」  もはやキリューに逃げ場は無い。彼は覚悟を決めた様子で、真っ赤になった顔を伏せがちに一歩踏み出した。 「……よ、よろしく。トレア……ちゃん。」  トレアはバスケットを床に置いて、キリューに手を差し出した。  彼女が浮かべる満面の笑顔には、嘘も偽りも無い。 「よろしくね!」  トレアの差し出す、小さくも暖かさに溢れた手の平を、キリューが取る。  友達としての握手。  2人の間に、僅かながら絆が生まれた瞬間だった。  イグルスは、2人から見えないようにして、優しげな微笑みを浮かべた。  心に酷い傷跡を持つトレア。  記憶の無い不安に揺さぶられるキリュー。  2人の背を見守る者として、これ以上無い喜びを噛み締めていた。 ―――  4月23日 14:54 ―――  この拠点に外から覗ける窓は無いが、内部から外を見張る事ができるカメラがいくつか付いていた。  そのカメラに映った映像は、ほとんどの部屋に備え付けられたモニタにより見ることができる。  だから、何か特別な事が無い限り、モニタの電源は付けっ放しにしてあり、いつでも外の様子を把握できる仕組みになっている。  14時も終わりに近付いたその時、広間でモニタを見ていた希更が声を上げた。 「外に影の兵を発見! 大群です!」 「どっちの方角だ!?」 「南西です! 山岳エリアの方角!」  希更の声を聞き、ハットが起き上がる。そしてまず方角を確認した。  拠点には、ハットが改造した兵器が備え付けられている。  彼が内部の制御室から操作する事によって、近くの敵ならば一歩も外へ出ることなく殲滅可能なのである。  ハットが慣れた動作で制御室へ向かおうとした時、希更から更に声が上がる。 「だ、誰かいます! 影の兵の他に……人間が、2人!」 「どうせゴッディアの連中だろ。構わず撃ち込むぞ!」 「それが……あっ!」  希更がモニタを見て驚きの声を出す。  何か意外なものを見てしまったかのようだ。 「どうした?」  ハットが足を止め、モニタの前に戻る。  このタイミングでイグルス、キリュー、トレアも駆け付け、広間に続々と人が集まった。 「様子がおかしい……。」  モニタ越しに映し出される雪原には、大群の影の神兵と、それに取り囲まれている2人の人間が存在した。  人間のうち片方は薄着でうずくまる背の高い男で、もう1人はぶかぶかの白いコートを羽織った子供。  こんな辺境の地にやって来るのはイグルスの仲間か、各地を監視しているゴッディアの関係者ぐらいのものだ。  だがそこにいる2人は、明らかにそのどちらとも違う。  確実にイグルスやハットの知っている顔では無かったし、影の兵に襲われているような様子はゴッディアの一味のそれでは有り得ない。 「どうする? 俺のカタパルト撃つと、99%巻き添えにしちまうぞ。」 「……仕方ない、出よう。私と准尉、キリューで救出に向かう。ハットは様子を見ながら、トレアと待っていろ。」 「了解だ。」  イグルスの指示に従い、全員がその通りに動く。  その時、モニタが映す光景に変化が起こった。  襲われているはずの2人のうち1人――薄着の男が立ち上がったと思った瞬間、彼の右手から光の糸のようなものが飛び出し、影の兵を貫いたのだ。 「なっ!?」  モニタを見つめていたハットが驚き声を上げ、全員が振り返る。  男が放った光の糸は、まるで生きている蛇の如く曲がりくねり、群れ成す影の軍団の頭部を次々に破壊していく。  狼、鳥、その他不定形の化け物……様々な生物の姿をモチーフとしている影の兵が、その光に抗う事もできずに殺される。  その光の糸を放った男は両手で頭を抱え、苦しそうに全身を揺り動かす。  そして側に居るコートを着た子供を突き飛ばすと、右手を開いて天へかざした。  その瞬間、男の人差し指から――よくよく見ると分かるが、その指にはめられている指輪の赤い宝石から、光の束が溢れ出る!  モニタ越しにも眩しさが伝わり、目を細めたくなる程の光量だった。  光の束は空に向かって伸び、1本1本の光の糸に分裂すると、まるで流星のように地上に降り注ぎ、影の軍団を一掃した。  貫かれた影の兵は即座に消滅するか、穴だらけの黒い塊になって情けなく地面を転がるか、その二択だった。  光の流星が止み、男の手はゆっくりと下りる。  さっきまで群れを作って蠢いていた影の兵は、もう一匹も動く気配が無かった。 「……強い。杞憂だったな……それにしても、あれは一体。」  イグルス達は外に2人の救出に行くつもりが、すっかりモニタに釘付けになってしまった。  光を放つ指輪を身につけた薄着の男は、再び苦しそうに屈みこむ。  カメラの角度が絶妙で判断に困るが、どうやら胸を押さえているようだ。  そんな男に駆け寄る、一緒に居たさっきの子供。  音声が拾えないので会話の内容は分からないが、どうやら子供は男を気遣っているらしい。  よく見ると、子供はぶかぶかのコートを着ているのだが、その丈が届かない両足は素肌が剥き出しだった。長いズボンを履いていないらしい。  男も子供も、こんな寒さの厳しい土地へ来る格好とは思えない。  慌てる事も無くなったので様子を見ていると、男がふらふらと立ち上がり、近くの枯れ木へ向かって歩いていく。  子供もコートの内側をまさぐっては、男に追従するように歩く。何故か、手には剥き出しの拳銃が握られている……。 「……なんだ、ありゃ。」  よく分からない2人の様子に、首を捻るハット。 「おねえちゃん。あの人たち寒そうだし、中に入れてあげない?」 「ん? そうだな……どうしてここにいるのか、詳しい話を聞きたいところだが……。」  歩いている男が、ぐらりと身体を傾け、片膝を付く。  そして再び苦しそうに胸を押さえる……。 「なんだか、さっきから様子がおかしいです。あの男性の方。」  希更がそう口にした。  モニタ越しにしか様子を把握できないが、男の挙動が不穏すぎる。  子供が拳銃を手にしたまま、再び男に駆け寄った。  次の瞬間――男の腕が子供に向かって伸び、光の束を吐き出した。  子供はその一撃を腹部に受け、吹き飛ぶ! 「!!」  光の束はまるで暴走したように次から次へと溢れ、周囲を破壊しながらぐるぐる動き回る。  男は胸と頭を押さえながら何かを叫んでいるようだった。  男の様子と連動するように光の束の動きが乱れ、弾けて消えながら、次々と召喚される。  吹き飛ばされた子供は腹部から激しく流血させながら、雪が塗された地面を這う。  持っていた拳銃も衝撃で何処かへ吹き飛んだようだ。  男は子供の苦しそうな様子を見ても、光を放出するのをやめない。  もはや自分ではコントロールできないようだった。必死の形相で何かを叫びながら苦しんでいる。 「まずい、危険だ……! 何か、危険な事が起こっている!」  イグルスはそれを見て、異常事態だと判断する。  この拠点のすぐ側で暴走する男を、一刻も早く止めるべきだ、と。 「キリュー、私と来い!」 ――― 「ぐぐぐぐぐぉぉぉおおおおおおぉ……あああああああああああああ!!!?」  物凄い絶叫をしながら、溢れて止まらない右手の力を押さえ込むリア。  想像を絶する頭痛。想像を絶する胸の圧迫感。何かとんでもないものに精神を乗っ取られそうな恐怖。  それらと戦い、必死で抑える。何が何でも抑え込む。 「があっ、ぐぅぅぅぃぃいいいいいあああああああああああ!!!」  負けるわけにはいかない。  少しでも気を許せばこの指輪の好きに力を使わせてしまう!  リアは今、何かを考える事ができる状態ではない。力の暴走を止めるのに精一杯なのだ。  だが胸が張り裂けそうな罪悪感が襲い掛かる。  私に付いて来た、罪も無い子供を――キャフェリーを、この力で傷つけてしまった……!  右手の人差し指の指輪から溢れ出る閃光は止まらない。  リアの生命を食らいながら、1本2本と次々に召喚され、周囲を無差別に破壊して行く。  雪の地面はボコボコに窪み、枯れ木は幹を穴だらけにして崩れ落ちる。  腹部を血に染めながらリアの許へ這って来るキャフェリーは、不安そうに彼の顔を見つめてくる。 「うごぉぉおおおっ、ぐぅぅ、おおおおぉううううううおおおお!!」  リアは、悔しさと悲しさで一杯になる。  ああ、私はなんて酷い顔をこの子に見せているのだろう。  短い間だったが、この子と居る間はひたすら感情を押し殺して、この呪いと戦ってきたというのに。  ――どうしてここまで付いて来てしまったんだ、キャフェリー!  私にさえ目を付けなければ、この呪いに傷付けられる事も無かっただろうに。  私の命など、奪う価値すら無いというのに……!  いくら人間を殺したい欲求があるからとはいえ、こんな寒々しい雪原まで引っ付いてくるとは思わなかった。  半袖半ズボンな無謀な格好で、よくも。私がコートを貸してやらなかったら、どうするつもりだったのやら……。  キャフェリーは、私を見て、「平気だよ」と言わんばかりに歯を見せ笑う。 「っく……んっぐっ、ぐぐぐぐぎぎぃぃあああっ、あああああっっ!!」  私は、飛びそうになる意識の中、右手の人差し指を押さえる。そこに光の出所である、宝石があるからだ。  しかし呪われた閃光は、私の左手を突き破りながら飛び出し、自由気ままに飛んでいく。  その内の1本が――キャフェリーの背中を貫いた光景が、目に焼き付いた。 「うごぐおおおおおおおおおおぉっ、おっおおっ、おおおおあおあおあああぁあっ!!!」  自分自身の物凄い声で、キャフェリーの悲鳴が耳に入らない。  止まれ。止まれ! これ以上、あの子を傷付けるな!  しかし、私が念じれば念じるほど、虚しく指輪は暴走し続ける。 「死なないでよ……オジサン。……ボクが……殺……すまで……。」  キャフェリーはそう言い、うつ伏せになったまま動かない。  腹部と背中に出来た傷から激しく血が飛び散って、白いコートも雪の地面も真っ赤に染める。  もうやめてくれ……!  誰か、私を、止めてくれぇっ……!!  バキュンッ! 「止まれ!」  凛々しい女性の声と同時に放たれた銃弾が、暴走する閃光を掻い潜りリアの肩に命中する。  イグルスが白い吐息を出しながら、閃光の回る外側で距離を測りつつ射撃体勢を取っていた。  頭を押さえながら暴れるリアの視界にも、イグルスの姿が入る。  それに動揺したのか、安堵したのか。リアの感情の揺れ動きに伴って、暴走する閃光の軌道が緩やかになった。 「ああっあぐぁっ、ぐううぅっ……!」  しかしそれも束の間、リアの精神を食い千切るが如く閃光の暴走は再開する。  またしても多量に召喚された鋭い光の糸の束が、リアを中心に跳ね回り始めた。  ――だが、閃光の速さが緩んだ一瞬の間を縫って、キリューがリアの目の前まで飛び込んでいた! 「う、あ、ぅぅう……!?」 「……。」  苦痛に顔を歪めるリアの右腕を、キリューが捻る。  そして人差し指に嵌っている指輪を摘み、即座に抜き取ろうと試みる。 「……!」  だがそこでキリューは、指輪がどうやっても外れない事に気付いた。  指ごともぎ取るつもりでやっても、1ミリも動かない。指の付け根にガッチリと嵌ったままだ。 「どうした! 外れないのか、キリュー!」  キリューの様子に気付いたイグルスは遠くから呼びかける。キリューは振り返り、困ったように頷いた。 「うぬぅぐぐぐぐが、ぁぁぁああ!!」  指輪を何とかするために時間をかけ過ぎた。  リアはキリューを追い払おうと、その脇腹を突き飛ばし、右手の人差し指を向ける。 「キリュー! っ!!」  イグルスが声をかけた時、跳ね回っていた閃光が彼女の肩と足元に向かって伸びる。  暴走が悪化し、閃光の軌道が更におかしくなってきている。  このままでは本当に、誰にも止められなくなる……!  どうするのが最善か。  リア自身は暴走を止められない。指輪を無理矢理外す事もできない。  残る方法は?  キリューはイグルスに目で合図をした。  突き飛ばされはしたが、キリューの構える剣の射程範囲ギリギリに――リアの右手がある!  イグルスは、キリューのやろうとする事を瞬時に把握する。  何故ならそれは、イグルスが思い付く最後の手段と一致していた。 「止むを得ない、やれ!!」  キリューの剣が振り下ろされる。  その一閃は、次の閃光が放たれるより早く、リアの右手首を綺麗に斬り落とした!  ボトリ、と雪の上に落下する手首。その人差し指には、呪われた指輪が。  リアは全身の力が抜けたように、両の膝を付いて大人しくなる。  それと同時に、周囲を破壊し続けていた閃光の束は、空気に溶けるように消滅した。 「……止まった、な。」  イグルスが完全に安全になった事を確認し、リアとキリューに近付いた。  そして額を拭って一息付くと、リアに向かって声をかけた。 「こうするしかなかった、申し訳ないな。……すぐに手当てをしてやろう、せめて余計な障害が残らないように。  そして、事情を聞かせてもらうぞ。ここへ着た敬意、その指輪の事、洗いざらいな。」  リアは、膝を付いた体勢で、すっかり脱力している。  イグルスとキリューはとりあえず倒れているキャフェリーを背負い、拠点へ移動しようとリアを誘った。  リアは、すっかり斬り落とされてしまった右の手首を見る。当然、かなりの勢いで出血していた。  だがその痛みよりも、呪われた指輪から解放された事実が嬉しいはずなのだ。  ――本来なら。 「……ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました。……でも、本当に申し訳ないのですが。」  リアは右手首の切断面を見つめながらイグルス達に礼を言う。  ……既に、出血が止まっていた。  それだけではない。切断面が蠢いたと思った瞬間、斬られたはずの細胞が再生し、元の右手首の姿を形作る。  イグルスとキリューは驚きに目を見開いた。  そして10秒もしないうちに、リアの右手首から指先までは綺麗に元通りになり――その人差し指の根元には赤い宝石の付いた指輪が嵌っていた。 「どういう事だ? いや、何故、指輪が……!?」  イグルスは、地面に落ちているキリューが斬り落とした手首を見直す。  確かにそちらの指にも指輪が嵌ったままだ。  しかし、再生したリアの新しい手首にも、もう1つの指輪が嵌っている……。  落ち着きを取り戻したリアは、感情を殺した声で、絶望に満ちたように話をした。 「私の身体から斬り離しただけでは駄目なんです。……この指輪は『ラニア』。呪われた代物。  そして、この指輪に生命を侵食された私もまた……呪われているのです。」  リアは、新しく生えた手首、新しく誕生した指輪ラニアを憎々しげに撫でる。 「とは言え……貴女方のおかげで、指輪が生命力を吸い上げるのを中断させる事ができました。これでまたしばらくは暴走を防げます。  本当にありがとう。私の名はリア。あの子はキャフェリー。……出会っていきなりで申し訳ありません。  貴女方に、お願いがあります。」  リアは、意を決したように、イグルスの瞳を真っ直ぐに見つめる。 「どうか、私を殺して下さい。そして、誰の手も届かない場所へ、私を葬って下さい。  この指輪は危険すぎる……もう誰にも、触れさせてはいけない!」  第46話へ続く